黒の祭壇

黒の祭壇

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40(連載中)

 アンナは自分で宣言したとおり、仕事が終わった後、相変わらず般若のような顔をして、エドワードの部屋にやってきた。
「なにその不満がましい顔」
「……いや、べつに……」
 思わず眉を下げたエドワードに、アンナがむっとした表情を見せる。
 酒瓶を抱えているからには、やる気満々なのは見えていたので、諦めてエドワードは座布団を引っ張り出した。
「他の女の子たちも来たがったんだけどね、私が代表してきたのよ。これはこの店全員の総意よ」
 そう前置きするとアンナはどっかりと座布団に座る。
「あんたこの店出て行きなさい」
「だから嫌だって言ってるだろ」
 堂々巡りになるのは分かっているのに、アンナは懲りずに同じことを言う。
 エドワードはため息を吐き出しながら、そう呟いた。
 もう決めてしまったことなのだ。今更覆すつもりもまったくない。
 誰に何を言われようと、無駄なのだ。
 ……まあ、戦場のあの男が直接やってきて「やめろ」とでもいえば自分のことだから盛大にぐらつくだろうが、そんなことはありえないし。
 泣いたり怒鳴ったりしながらなんとか説得を続けてくれるアンナ姉ちゃんには申し訳なくはあるのだが、三十分以上もお茶を飲みながらのらりくらりと断っていたら、アンナ姉ちゃんも酒が尽きたようだった。
 酒を足下に転がし、苦虫をかみつぶしたような顔をしながら、アンナ姉ちゃんはやっと喋るのをやめる。
「……どうしても、店に出るの」
「それしかないだろ」
「私たちがどんなに言っても、辞めてくれないの」
「うん」
 間髪入れずに断言すると、アンナ姉ちゃんはとうとう折れるように肩を落とした。
「……バカよ」
「うん、まあそうかもしれないけど。――断って逃げても、金がないし。アルフォンスを学校に入れ続けてなんてやれないし。誰かに引き取って貰ってもそっちに迷惑かかるの嫌だしな。……俺だって、何も考えがない訳じゃないし」
「え?」
 ピーナッツを囓りながら呟けば、アンナ姉ちゃんは顔を上げた。
「なにそれ。どういうこと?」
「嫌なことやらされるんだから、それなりに何かの利益を得ないと嫌だろ。ただ黙って言われるがまま仕事するなんて俺の性にあってねえし」
 ――そう。嫌だが店にでなければならないなら、出てやる。
 その代わり、キンブリーには、数ヶ月後にでも盛大に後悔して貰う。
 店に出すんじゃなかったと泣くキンブリーの顔を想像すると笑いが出てきた。
 そんなエドワードをアンナはまじまじと見ていたが、暫くしてため息を吐く。
「……どうやら、性根までも折れた訳じゃないみたいね」
「ん?」
「私、あんたが諦めたのかと思ったから」
「? なにそれ」
「エドって、いつも私たちの店をよくするために頑張ってたじゃない。キンブリーが来て、経営が苦しくなってもあがいてたじゃない。最後まで諦めないって思ってたエドが店に出るなんて言うから、私、とうとうエドも折れちゃったのかと思ったの」
「俺は死ぬまで諦める事なんてねえよ。だって、諦めたら死ぬっての、昔経験したから」
 あの時、弟を抱えてこの店に飛び込まなかったら死んでいた。倒れ込んで凍えることも出来たけどしなかった。
 人間、諦めさえしなければなんとかなるのだと、あの時身に染みて知ったのだ。
「で、いったい何をするつもりなのよ」
 今度は表情が少しだけ落ち着いたアンナがにじり寄ってくる。あんまり喋りたくないんだがなと思いつつも、逃げられない予感も感じて、口を開こうとした時、襖がノック一つなく開いた。
 
 
 
「おお、エドワード。部屋にいたのか。おまえのことだからまだ働いてるのかと思って台所に行ってしまったわ」
 がはは、と腹を揺らしながら変な物体がうねうねしている。
 あまりに突然、意外な人物が目の前に現れて、アンナと二人、文字通り固まった。
 珍しい顔もある物だ。月に一度くらいしかここには来ないし、こんな夜中に、突然一人でやってくるタイプでもなかった。たいていキンブリーに話をするだけで、俺たちには顔も見せないことも多いのに。
それが、エドワードに用事があるといってやってくる。
 なんだか、嬉しくない事態が待っていそうな気がした。
「……ハクロ支配人。どうしたんですか?」
 早めに立ち直ったのは、俺よりもアンナ姉ちゃんの方だった。
 表情に隠しきれない嫌悪が見えるのは、相手がハクロだからだろう。アンナ姉ちゃんは、相手が客なら完全にそんな素振りはみせない。
 だが、鈍いハクロはアンナの嫌悪など気づかないようで、顎をさすりながら、少し威張ったように咳をした。
「今日は朗報を持ってきたんだよ」
「……」
 あからさまに表情をゆがめる俺たち。
 ハクロの朗報が俺たちにとって朗報だった試しがないのだ。
 聞きたくねえなあ、という思いを全身に漂わせているがハクロはやっぱり気がつかないままだ。
 それどころか、エドワードを意味深な視線で見下ろしてくるとなれば、背筋に悪寒が走るのも仕方ない。
 用件が自分のことだと即座に悟り、過去の経験から全くもって嫌な予感しかせず、恐怖を通り越して笑いまで漏れてきた。
 そんなエドワードに対して、無能な店の支配人は。
 
 
「――おまえを最初に買ってくれる相手が決まったぞ。エド」
 
 ――なんぞと、最悪最低とも思える報告をさも嬉しそうに告げてきたので。
 
 やはりエドワードの想像は正しかったことになる。

(終わり)