追い打ち
こちらは本当は悪くないのかもしれない。
向こうが勝手な理屈を捏ねているだけで実は悪いのはあちらなのかも。でもこうしてひたすらに責められ続けると自分が悪いと思った方が楽なのだ。きっと。
人体練成をした。
悪いことだと分かっていた。とある錬金術師から情報をもらうにはそれを明かすしかなく、エドワードは正直に語ったのだ。
男は驚き…責めた。
それは最大の禁忌ではないか。しかも弟の体をあんなにしてしまって。いつまで持つか分からない。なんてことを。弟に悪いと思わないのか。母親に悪いと思わないのか。
すべては正論。エドワードには言い返せない。
責められるほどのことをしたのだ。でも思えばあの男はエドワードにこういう責め方はしなかったなと思った。あの男の怒りと叱咤は、いつも前に進むために必要なものだった。
怒鳴られながらそんなことをぼんやり考えて…無性に大佐に怒られたくなった。
いつもなら、五月蠅い無能って叫ぶのに現金なものだ。
…結局、その錬金術師から情報は得られなかった。
弟に落ち込んだ顔は見せられない。人のいい弟に心配されると逆に泣きたくなる。
…誰のせいでそうなったと思ってるのアル。おまえにだけはこんな愚痴、こぼせるわけないじゃないか。
『自業自得だ』
錬金術師はそう言った。
その通りで。
だからあの男から呼び出しがあった時、電話口で思わず漏らした。
「…行かなきゃダメ?」
大佐が一瞬息を飲む。いつものことなのだがきっとこの後、ダメだとか言うに決まって
「…かまわんが。…そっちの方がいいんだな?」
今度はこちらが息を飲まされる。
「…助かる」
この男がこんなに聞き分けがいいとはしらなかったが単純に今はありがたい。
今あいつの顔を見るとどうも慰めてもらいたくなりそうだ。大佐はなんとなくほっぺたを叩きながらも頭を撫でるようにしてくれる気がして。今はそれを求めてはいけないのだと思った。
「…鋼の」
「?」
「早く羽を治しなさい」
男の言葉は意味不明だった。
十日後。
エドワードはほぼ徹夜で報告書を仕上げて東方司令部に向かって走っていた。
理由がないと何となく大佐に会うのが恥ずかしいのだ。ただ会いに来ましたなんて言えるはずもない。
『教えてやるよ』
三日前にあの錬金術師に呼び出された。
さんざんエドワードを責めたはずの彼は、うってかわって優しくて。
あれだけ禁忌を冒すなんてと詰ったのに。
ありがたいが不思議で最後の日に思い切って聞いてみたのだ。
『なんで気が変わったんだ?』
錬金術師は肩を竦めて。
手紙が来たんだ、といった。
走りっ放しで執務室の前まで来た。
荒い息で中に入ったら何を急いでるんだねといわれそうで慌てて扉の前で息を整える。
今更。中の男には気がつかれている気もするけれど。
扉をノックするのもらしくないので一応気を使いながら開けてみるとイスに座った男は頬杖をつきながらこちらをみていた。
「…私の部屋からは司令部の玄関は丸見えなんだ」
「…そうかよ」
つまりやっぱりばれている。
近寄って投げるように報告書を渡すと大佐は面白くなさそうにそれをめくった。
「ご苦労」
いつもの言葉。このままじゃあ、と帰ってもいいけど今のエドワードは胸が詰まってそれができそうにない。
「…なあ」
「ん~?」
目を書類に向けたまま生返事の男。
「にわとりを殺すなって何」
ぴくりと指が動く。一瞬だけだがそれで確信した。
「なんのことだね」
「嘘つけ!やっぱりあんたじゃん!」
ごまかしは大嫌い。大佐の手から報告書を奪い取った。今は会話に邪魔なものだ。
『Don't kill a cook』
錬金術師は本をエドワードに手渡しながらそういった。
ぽす、と掌に載せられた本と男を見比べる。
「…なに?」
『…にわとりはああ見えて、羽に怪我をした仲間が小屋の中に入ってきたら、よってたかってその怪我をつついて殺すって知ってたかい?』
「…しらない」
錬金術師は苦笑し、エドワードの頭を撫でた。
『その一文だけが書かれた手紙が届いたんだ。…すまなかったね。君の羽の傷を広げるところだった』
もう、失敗して、反省している、そんな鳥に石を投げて、殺す必要はないのだ。
衝動的にカッと来て詰ってしまった。よく考えれば君みたいな子供が突然母親を失って、おかしくならないわけがなかったのに、と頭を下げ。
どさどさと積み重ねられていくお詫びという名の本達をぽかんと口を開けて抱えながら、エドワードはある言葉を思い出した。
『早く羽を治しなさい』
「なあ」
「なんだね?」
その錬金術師に、気になっている言葉を問う。
「その手紙、誰から?」
「もし私だったとしたら、なんだというんだね」
エドワードの執拗な問いかけに、ロイはとうとう溜息を吐いて降参した。
そこではた、とエドワードは我に返る。
大佐だったら、どうだっていうんだろう。
ありがとう、と言うために来たのか?
…そこまで、考えてなどおらず。
ただ単に、会いたかっただけだ。
感謝の言葉ではなく、じわじわと胸に広がるこの泣きたくなる感触のまま、大佐に抱きつきたくなっただけ、で――――――――――
熱が一気に顔にのぼった。
ひょっとして、俺、とても恥ずかしいことをしようとしてたんじゃないのか?
『君は卵を産むんだろうね』
きっと、金色の。
錬金術師は笑った。
君は天才だ、きっと卵を産む。だからこんなところで殺してしまったら世界の損失だ。
悪かったと繰り返した男は、卵を産む雌鳥は殺せないと言っていた。
それはとても、優しくて慈悲深いようでいて。
とても、残酷。
「…大佐、大佐も」
そこまで口に出しながら、挫けた。
なんだか、言ったら泣き出しそうだと思う。
そうだ、と肯定されたらどうしようかと思う。
抱きついて、拒絶されることが怖い。
元々最初の出会いからして、この男にとって、エドワードという存在はそうでしかありえない。
正面の大佐は、目をぱちくりしてエドワードを見ている。
不思議そうなその顔は一人で百面相をしているエドワードが何を考えているのか分からないのだろう。
自分だって頭が混乱しているのに、大佐に分かるはずもない。
「…鋼の?」
かたり、と椅子から男が立ち上がる音に、反射的に怯えた。
歯車、道具、部下、パーツ。
自分と大佐の関係を表現する言葉ならいくらでも浮かぶ。
静かに机を超えて大佐が前に立つまでの間、エドワードは硬直したように動けなかった。
床の染みの数を数えているくらいなら、逃げればいいのだ。
「ああ、綺麗な羽だね」
「……」
ふと顔を上げた。
男は微笑んで、エドワードの頬を拭うように触った。
「怪我が治ったのなら、それでいい」
「――――――――――」
心臓が、一気に軋む。肺に浸透する、太陽の温度を持つ水。 エドワードの五感を狂わせてしまう、それは麻薬だ。
……どうしよう。
抱きつきたい。
でも、でも大佐にとって、俺は金の卵で。
将来卵を産むから、自分の株が上がるから側にいるだけで。
こうしてくれるのもそれだけの理由。
流されて好きになってしまったら、自分が後で痛い思いをするだけだ。
「っ……なんで、鶏を殺しちゃいけないんだ?」
触れた優しい手を、嫌がる素振りで離した。
そうでないといけないのだ、きっと。痛くても、ここで離さないともっと、もっと激痛になる。
「…それは、君」
ロイが意外そうにはね除けられた手を降ろして、口を開こうとする。
「卵生むからだよな。うん、俺多分金の卵、産めると思う。アルの身体さえ元に戻したら、あんたのために何個だって卵産んでやるよ。だからそれまで殺されないようにするから、安心しろ」
聞きたくなくて、遮るように一気に言った。
俯いた顔を上げて、せいぜい元気よく笑ってやる。
なんだか呆然としている大佐が見ていられない。
踵を返して、何かを言いかけた大佐を振り切って執務室を飛び出た。
なんでだろう、殺されるはずがないと分かっているのに、まるで死んでしまいそうなほどに心臓が痛い。
泣きわめきたくなるこの感情はなんなのか。
――――――――――分かってる。
卵を産めない俺は、きっと大佐に殺されるからだ。
俺がこうして助けて貰えるのは、金の卵を産めるから。
それだけ。だから、あのさりげない優しさも、遠くから見守るような視線も、錯覚しては、ダメなのだ。
勢いよく閉まった扉をぼけ、と見つめること数分。
ロイは口に手を当てて、ううん、と唸る。
「…あの子供は、にわとりが好きだから殺さないという風には考えないのか?」
卵なんて産めなくても。
大切なにわとりなら、死なないように守るに決まっているのに。
ニワトりを殺すな
Don't kill a cook
ケビン・D・クックさんの本より。反省している人に追い打ちをかけて殺すようなニワトリ会議をするのは止めましょうという話。自分の会社はどうでしょう?
(終わり)
