黒の祭壇

黒の祭壇

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55(連載中)


「大将も成長したよなあ」
「なんで」
 余り時間のないアイザックは、一足先に喫茶店から出て行った。
 その後ろ姿を二人で見送って、ハボック探偵は俺にしみじみと声を掛けた。

「だって、こんな小さい子供だったのに、今や俺やアイザックさん使って、人脈まで操作するようになるとかさ」
「操作ってなんだよそれ、人聞きわりぃ。単に俺は、小さいときにいろんな人に助けて貰ってここまで来てるから、結局最後に頼れるのなんて、自分の頭だけじゃなくて、人の繋がりなんだって、思ってるだけだよ」
「……それは、マスタング大佐の教えかね」
「……どうなんだろ」
 違うよ、と否定すると思っていたのか、俺の答えに、ハボックは驚いたようだった。
「まだ、忘れられそうにないか?」
「忘れる? あいつのこと? どうして」
 ハボックは、いや、と言って頭を掻く。
「この喫茶店に来るのって、軍の玄関が見えるからだろ? 会いに行けばいいのに」
「……ああ、そっか」

 忘れてた。この喫茶店に呼びつけてしまえば、そう気づかれる事なんて明白だった。
 でもなんだか、ばれたところでどうでもいい。
 胸に空いた空洞は空気を簡単に通してくれる。
「会いに行くとか考えてなかった。だいたいあっちも俺の事忘れてるだろうし。今や英雄、時期大総統候補だからなあ……」
 俺みたいな得体の知れない人間は会うことすら出来ないだろう。それこそ俺の常連客達の誰かに頼めば、会わせてくれるのかもしれないが、正直ロイには今の俺の姿なんて見られたくもない。
「おい、エドなにかあったんか?」
「え?」
「なんか変だぞおまえ。達観してるって言うか……」
「……」
 ぼんやりと、探偵さんの言葉を聞く。

 諦め? 達観? どうして俺が。

 いつも通りに仕事をして、適当にハクロを誤魔化して、キンブリーに胃が痛くなっているはずなんだけど。
「ああ……」
 暫く考え込んで、気がついた。なるほど、今やそれしか考えることがないからなのだ。
「実は俺、レイブンに身請けされるらしいんだよな」
「――え」
 らしいって言うのも変か、自分の事なのに。
「だから、それまでにどうしても孫娘を見つけたくて。達観してるっていうのは、自分が一ヶ月後にはここからいなくなるってわかってるからかも」
 珈琲を飲み尽くしたので、水に口をつけたら、ハボックがそんなエドワードの手首を掴んだ。
「おい、ちょっと待って。何言ってるんだ大将」
「何って?」
「何のんびりしてんだよ……! あんな爺に囲われたらどうなるか、分かってないわけねえだろ!」
「まあ分かってるけど」
 彼は何をこんなに慌てているのか。泣きそうな顔で両肩を掴まれ、揺さぶられた。
「まさかおとなしくレイブンに連れて行かれるつもりなのか!? マスタング大佐はどうすんだ!」
「なんで大佐の事がここで出てくるかわかんねえけど、そもそも俺に選択の余地ねえよ。レイブンだぜ?」
 嫌だという権利などない。奴がやると言ったらやる。多分味方はいないだろう。もしいたとしても、迷惑がかかりすぎる。巻き込めない。
「今キンブリー達に刃向かっても勝てないことは俺だって分かってる。逆らうのは今じゃない」
「だからって……、あいつの家になるともう、俺の手もおよばねえぞ」
「分かってる。ほんとにハボックさんにはお世話になったなと思ってる」
「ここまで耐えたのに、全部終わりにするつもりかよ……!」

 血を吐くような叫びだった。
 こんなときなのに、エドワードはそのハボックの態度が嬉しくて、胸がじわりと温かくなる。
 ああ、この人は、本当に俺を心配してくれているのだ。
 ピナコばっちゃんの知り合いだったとはいえ、もともと、俺との関係はただの客と探偵だったのに。
「俺だってレイブンの囲い者になるなんてまっぴらごめんだから、適当に逃げ出す予定ではあるんだけどさ。そうすると今までみたいに表にでられねえだろ? いろいろとやりにくくなるからさ。こうしてこの喫茶店でアイスクリーム食べるのもあと三週間くらいなんだよなあ」
 レイブンのところから逃げ出せば、表社会に居場所はなくなるだろう。すぐに見つかり、連れ戻される。
 ならば裏に潜るしかない。一生弟とも会えなくなるし、姉ちゃん達とも別れることになるだろうが、それはあの店を捨てたこととは違う。裏の世界に降りるということは、汚いこともしないといけないということだ。
 やりたくないけれども、そうはいっていられない。
「俺。諦めだけは悪いんだよな。諦めなければなんとかなるって、知ってるから」
 小さい頃に赤ん坊を連れて扉を叩いたあの日から、死ぬまでは、何でもすると、何でも出来ると誓った。
 もし、レイブンのところにいることで、何かを得られるのであれば、どんなに嫌でも従うだろう。だが理性的に考えると、軍を退いたあの爺に囲われていたところで、重要な情報が手に入るとも思えない。メリットは、何も無いのだ。
 睨みつけてくるハボックの瞳を、まっすぐに睨み返す。それは、まだ舞台から降りるつもりはないという決意の表れだった。

 ふっ、と掴まれた肩から、力が抜ける。
「は、はは……! やっぱり大将は、大将か。そうじゃなきゃな」
「なんだそれ」
 突然、ハボックが笑い出す。人の肩から手を離して、安心したように笑うと、腰を落とした。
「オッケー分かった。もし大将がレイブンのところから逃げ出すときには声かけてくれ。協力する」
「うん、そのつもり。だけど一番いいのはそれまでに孫娘が見つかることなんだ。場所は分かってるし、どの家にいるかも連絡がついた。ただ未だにドラクマは、一般人の出入りは禁止されている。戦争は終わったとはいえ、あくまで休戦だしな。だから……今のウィンリィって子の状態と、彼女にピナコばっちゃんの話をして、大丈夫かどうかが知りたいんだ」
 念願の孫娘とはいえ、もし、今幸せに暮らしていて、ピナコばっちゃんの事を知らせない方がいいのなら、そこは引くべきだ。彼女の幸せが最優先だから。
「たしかに、ウィンリィ嬢がどこまで知ってて、どこまで知らないかわからねえよな……」
 今の家族を本当の家族と思っているかもしれない。ならば、波風を立てるわけにもいかない。
「今の場所に満足してないなら、アメストリスに来て、とも言えるけどさ」
 この店の経営をどうするかは分からない。彼女の意志で、店を閉めるならそれでもいいと思う。ピナコばっちゃんの孫なら、きっと、店の人達の事も上手くしてくれると……信じたかった。
「まずは接触できねえと……だが、難しいぜ。今はまだ戦争終わったばかりだ。一年もすれば国交も正常化されるかもしれないが、今、ドラクマにいる人間と会話なんて無理だ。手紙すらまだ解禁されてない。車の通行は許可されたが、軍が発行した許可証を持つ人間のみだ。一般人レベルのドラクマ人との会話は、今は軍が動いてくれないと、不可能だ」
「……そうなんだよな」
 ハクロやキンブリーなど、軍人の知り合いはいるが、役に立たない。それどころか、絶対にそいつらにこの動きがばれるわけにはいかない。だからといって無関係な軍人にそんなお願い事をするのも難しい。どこでハクロ達の耳に入ることか。
「電話回線も軍回線以外はドラクマとは繋がらないようになってるしな。あまり、時間がない」
「最悪、俺がいなくなった後…一年もあれば、一般国民レベルの通信も復帰して、連絡は出来ると思う。だけど」
「自分が抜けて、店が一年持つとは思えないんだろ?」
「……」
 過信ではなくそう思う。
 俺がいなくなれば、あの店はキンブリー達のいいようにされる。女郎を消耗品としか思っていない奴らの手にかかれば、あっという間に今の姉ちゃん達はすり潰されるだろう。
「三週間か」
 ぽつりと、ハボックが呟いた。

 ――それが、本当のタイムリミット。
 

(終わり)