60(連載中)
当面、差し迫った脅威はなくなった。
上にハクロとキンブリーというでかい餅がいることに代わりはないが、レイブンはその餅の上のみかんだったので、ミカンが消えたおかげで少し気が楽にはなる。
レイブンがある意味、「粛正」されたということは、軍に何らかの動きがあったということだ。
今まで、ずっと見逃されていた犯罪を、曝いてわざわざ騒がせる「何か」が。
近々、客の一人や二人から情報を仕入れようとは思うが、エドワードの読みは、軍内部の勢力図が、変わりつつある、というものだ。
『軍でも会社でもある程度人がいる場所では絶対に派閥が出来る。派閥はいつもは動かない。軍で何かが起こるときは、だいたいその前に何かの前兆がある。新聞の人事情報には目を通すといい』
ロイの言葉は今から数年前に俺に告げられたのもなのに、今も立派に通用する。
今回の件など、まさにその典型的な物だ。
軍は自らの不祥事など宣伝しない。寄って今回のレイブンの処罰も、新聞の端に小さく乗っただけだ。見逃すだろう。
「でも、多分これがあいつのいう兆しだ」
何かが軍で起こっている。
だから、ハクロやキンブリーも今までのようにはいかないだろう。
それは奴らにとっていい方に変わるかもしれないし、悪い方に変わるかもしれない。
とりあえず、レイブンを失脚に追いやった派閥とやらが分からないと、へたに動けば店ごと潰される。
「しばらくは現状維持しながら様子見か」
喫茶店から店まで戻ってきて、そう呟きながら扉を開けた。
時間はまだお昼だ。店が本格的に開くまでには数時間ある。これから、洗濯して夕飯の用意して、明日の買い出しして……とぶつぶつ計算しているエドワードの目に飛び込んできたのは、慌てて走り回っているブリジット姉ちゃんとキャロル姉ちゃんの姿だった。
「……なにしてんの」
「あ! エド!! 戻ってきた!」
半泣きでこちらを見て、両手を祈るように握る二人の女性は、見るからに「困って」いた。
その態度で、エドワードの平和な気分は一気に消える。
「何。なんか妙な客が因縁つけてきたのか? それともハクロが来て又無理言ってるとか」
この店には女しかいない。だから用心棒も自分の仕事だ。酔っ払いなんかが昼に不法侵入したり、泥棒が来ることもたまにある。近くにあるモップを手にとって武器にしようとする俺を、二人は慌てて制した。
「ち、違うのよ……軍人さんが来て」
「軍人? まだ店開いてないのに」
手が止まる。たまに巡回で軍人は来るが、だいたい、何もありませんかね、それでは。といって去っていくだけだ。それだけでこんなに彼女たちが慌てることはない。
嫌な予感に、緊張が走った。
軍人はろくな奴がいない。……一人を除いて。
「なんか、レイブンのことで聞かせて欲しいことがあるって。エドをご指名で」
「……俺?」
嫌な名前を聞いた。ますます警戒が強くなる。
「レイブンが客だっただろう。話を聞かせてくれって、今、中に」
「……話」
彼女たちの慌て具合が分かった。
なるほど、彼女たちは、自分まで、捕まるのではないかと怯えているのだ。
可能性はある。
俺が、レイブンの犯罪の片棒を担いでいる可能性もある。捕まったレイブンが、全部の罪を俺になすりつけることもあるかもしれない。
ハクロがオーナーでレイブンが通っていた店となれば、この店自体が、レイブンの拠点の一つだと思われる可能性は高い。その恐れがあったから、今は様子見だと思っていたのだ。だがまさか、軍人が押しかけてくるまでとは。
モップを持ったまま俯いた。
「……やべえ。それは想像してなかった」
断じてレイブンの犯罪に与してはいないが、そんなのは軍にはしったこっちゃない。あいつらが、黒といえば黒になる。軍部というのはそういう世界だ。あいつが俺を道づれにしようとしたら、あり得ない話ではない。
……なんか、やりそうだな。
そう考えてしまうのは哀しいことだが、レイブンのことだから、一人で逝くものか、道連れに、とか考えてもおかしくないとか思ってしまう。
「……軍人、俺を指名なの?」
「う、うん」
二人ははらはらとしながら、俺を見上げていて、その縋るような表情に、意味のない罪悪感が宿る。彼女たちは純粋に、心配しているのだ。
「な、なんかまずい気がしたから、高いです、ていって追い払おうとしたの……! そ、そしたら」
「……三百万センズぽん、って渡されて、こ、断れなく……」
「……は?」
焦ってる理由その三。
さすがにエドワードもショックのあまり息が止まった。
「か、金貰っちゃったのか!?」
「ご、ごめんなさい……! こんなことになるなんて」
エドワードは、額に手を当てて、さすがに唇を噛んだ。溜息を突きそうになったがやめる。
金を持ってきたら、客じゃねえか。いや、追い返すことは可能だが……正直、面倒なことになった。
「どこにいる?」
「使ってた部屋見せろっていうから、斑鳩に通してるけど……」
「隠してる物なんか、ねえ、っつうの」
舌打ち一つ。
モップを姉ちゃん達に押しつけると、土間から玄関に上がった。
「ちょっと行ってくる。大丈夫、俺何も悪いことしてないし、きっと分かってくれるって」
ぽん、と二人の肩に手を置くと、彼女たちはやっぱり泣きそうだったけど、少しだけほっとしたように頷いた。
「悪いけど、一時に呉服屋さんが集金に来るからよろしく」
「う、うん……! エドも頑張って!」
階段を上がっていく俺に、彼女たちはそう言ってファイト、と握り拳を作って見送ってくれる。
なんだかその仕草がかわいくて、
「ありがと、元気出た」
と言ったら、彼女たちは何故か赤くなった。
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(終わり)
