黒の祭壇

黒の祭壇

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39(連載中)

 一週間後。
 キンブリーに自分の意志を伝えると、奴はあっさり、そうですか、と笑った。
 その笑いが実に気持ちの悪い物だったが、いい加減慣れている自分に驚愕する。
「分かりました。それなりの準備を進めるとしましょう。……しかし、馬鹿ですねあなたも。こんな店捨ててしまえばいいのに。情に捕らわれると、動けなくなりますよ」
「……」
 今のは奴の忠告なんだろうか。これではまるで、エドワードを心配しているように聞こえる。

 ――まあそんなわきゃないか、キンブリーだし。

 へっ、と吐き捨てると仕事に戻る。
 重大な決断をしたはずだったのに、案外あっさりしたものだった。

 アルフォンスが全寮制の学校に行く手はずはもう整えた。試験は今日で、さっき送り出してきたがどうせ合格するだろう。アルフォンスはもともと頭がいいのだ。
 合格発表から実際に学校に行くまでの時間はあまりなく、アルフォンスには事の次第はばれずに送り出せるはずだ。キンブリーにもその辺は頼んでおいたが、以外にあっさり承諾された。
 ほんの少し、嫌がらせで言っただけなので実際にやらせるつもりはない、と言ってくれることを期待しなかった訳ではないが、その辺はやはりキンブリーで、そんな甘い言葉は戻ってこなかった。
「……いたた」
 ちくりと針で刺されたような痛みが襲ってきて、胸元を押さえる。呼吸も苦しくなり、息をする度に激痛が走った。
 最近はよくあることなので、脇腹を押さえて廊下の壁に背中を凭れさせる。
 大きく深呼吸を繰り返していると、痛みは徐々に減ってきた。
 多分、心は納得しているようでいても、身体は納得していないんだろう。店に出ることを決めてからの症状なので、理由は分かっていた。精神的なものだろうから、医者に診せても意味がないだろうし。

 ……あいつ、なんて言うかな。
 戦場で炎を操る男の事を考える。
 もし、エドワードが店に出ると言うことを知ったらなんと言うだろう。怒るだろうか、笑うだろうか、なんとも思わないだろうか。それ以前にこんな子供のことは忘れているだろうから、頭の中の想像はあくまでもエドワードの脳内に住むロイの物でしかないが。
 怒ってくれたらいいな、と思う。そして、頭の中のあの男はエドワードの希望通りに怒鳴ってくれた。
「なんか、この調子だと俺、好きすぎて幻覚でも作り出しそうだな……」
 そこまでになったらさすがに病院に行かねばならないだろう。
 しかし、幻覚を見ないであろう事も分かっていた。
 なぜなら、エドワードが一番見せたくない姿が、今の自分だからだ。一番見られたくない人に見られる幻想など、作り出す訳がない。
 
 暫く蹲っていたら痛みも落ち着いてきたので、立ち上がる。
 洗濯物取り込みに行こうと踵を返したら、廊下の端からアンナ姉ちゃんがすっ飛んで来た。
「エドおおおお!」
 髪を振り乱して走ってくる姿はおよそ美貌に似つかわしくない。
 本能的に身体が硬直する。逃げたら噛みつかれそうな気がした。
「聞いたわよ! なんであんたが店に出ることになってんの!!」
 いきなり胸ぐらを掴み上げられ怒鳴られる。
「あー…」
 一応責任者のアンナには事情を話したのか。まあどうせすぐに知れることだが。
 廊下でする話でもないので、個室に場所を移すと、アンナ姉ちゃんは人の首をがくがくと揺さぶった。
「どういうことよ! ふざけんじゃないわよ! エドには関係ないじゃない!」
「いや、えと、そうなんだけど」
 しょうがないので一から事情を説明するが、説明している途中に、アンナの顔が般若のように変貌していくので、喋るのをやめたくなる。
 女性の怒りは男性と違ってまた違う恐怖だ。それでもなんとか最後まで喋り終えると、アンナは黙ってすっくと立ち上がった。
「ちょっとキンブリー殴ってくる」
「わー! 何いってんだよ姉ちゃん! 無理だって!」
 慌てて足に飛びつき止めるが、アンナの勢いは止まらない。
「離しなさいよ! いくら何でもやっていいことと悪いことがあるわよ! エドはそんなことのためにこの店にいるんじゃないでしょう?!」
「そりゃそうだけど、仕方ないだろ。この店辞めるわけにはいかないし」
「――それがおかしいのよ! やめればいいじゃない!」
 振り返ったアンナは悲痛な声で叫ぶと、飛びつくようにエドワードを抱きしめた。
「私たちのことなんていいでしょう?! 自分のことだけ考えてよ! あんた、嫌なんでしょう? 女だって嫌なのに、男だったらもっと嫌に決まってる。しかもまだ子供よ。おかしいわよ!」
「でも、別にそれがメインの仕事じゃないし。基本的には今まで通り経理とかの雑用でいいっていうしさ」
「そんなの客が入らなかったらの話じゃない。あんたなんてあっという間に売れるわよ。雑用してる暇なんてあるかどうか」
「ここは女の人買いに来る場所なんだから俺なんか買う人ほとんどいないだろ」
 エドワードにしてみれば、その点はけっこう楽観視していた部分であったのだが、アンナはなぜか髪を掻きむしった。
「だから、その辺あんた馬鹿だっていうのよ! ばっちゃんが言ってた通りよ! エドは昔から自分のことだけ全然分かってないんだから……!」
「?」
 そんなことを言われても、訳が分からないので首を傾げていると、アンナはがっくりと項垂れた。
「……ピナコばっちゃんは偉大だったわ……。こうなることもあるかもって言ってたけどほんとなんだもの」
「ばっちゃんが何かしたのか?」
 懐かしい人の名前が出てきて興味を示すが、アンナは知らない振りを決め込んでいる。
「なんでもないわよ。とにかく! エド、あんた店に出るのとかやめなさい。この店辞めさせられるならそれでいいじゃない。アルフォンスと二人、町で暮らせばいいだけだわ」
「だからそれはできねえって言ってるだろ」
「なんで出来ないのよ! 私たちはそんな思いまでしてあんたにここに残って貰いたくなんてないのよ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐアンナ姉ちゃんを宥めながら、言い合いは結局一時間以上続いた。
 辞めろというアンナと辞めないというエドワードは永遠に平行線を辿るだけだ。
 このままではお互い仕事にならないとエドワードが思い始めていたところを救ったのは、アンナに呼び出しがかかったせいだ。
 いつの間にやら時計は店が開く時間になっていた。
「あああ、もう! 仕事終わったら又話すからね! 逃げないでよ!」
 指を突きつけそう言葉を残すと、颯爽とアンナは服をなびかせ部屋から出て行く。
 どすどすと女性らしからぬ足音がするのは聞いてない振りをするとしよう。
 客の前ではころっと表情を変え、たおやかな女性を演じるアンナのしたたかさは嫌と言うほど知っている。
 はたしてそのくらいのしたたかさが自分にあるだろうか。
 アンナに対して何でもないことのように振る舞っているが、本当はそんなに気丈ではない。
 嫌悪と恐怖で夜中に吐くこともあるとか、言えるはずもない。
 判断を間違えるな、と何度も俺に言ってくれたあいつに問うてみたかった。

 俺の判断は、間違っていやしないだろうか?

(終わり)