29(連載中)
まずやったのは、ハボック探偵に電話をしてみることだった。
電話口で最初はへらへらとしていた探偵は、事の次第を聞いたら煙草を吹き出したらしい。電話口で咳き込んでいた。
絶対にうちのルートからはばれない、と自信を持って言うハボック探偵のことはとりあえず信じることにする。
エドワードだって、彼が漏らしたとは思っていない。ああ見えて、優秀な探偵だし、金に目が眩んで依頼人を裏切るような人間じゃないと評判を聞いていたから、頼んだのだ。
わかった、と言って電話を切った。
今は、犯人捜しをしている場合じゃない。明日から来るというハクロへの対応をとりあえず考えないといけないからだ。
逃げて、と姉ちゃん達は言った。
でもエドワードは首を縦に振らなかった。
受話器を降ろして、立ちつくしたまま、エドワードは一週間前の新聞の朝の記事を思い出す。
「だって、戦争が終わるって、新聞に書いてあった」
後一年程度で決着が付くだろうと。
長年の抗争にケリがつき、おそらく和解の方向で進むだろう、尽力したのは、焔の銘を持つロイマスタング。
あいつのぼやけた小さな横顔が、一面の写真に載っていた。
エドワードは忘れ始めている男の顔を思い出して苦笑する。
「いまさら、さ……」
帰ってきたからって、会いに来てくれるとは思ってない。
忘れてると思う。それでいいとも思ってる。
――なのに、ここを離れられない理由。
瞼を閉じると、最後に別れた時のあいつの顔が浮かんでくる。
ほんとは分かってる。
……ここを離れたらあいつが会いに来た時に困るから。
そう訴える心を、自分はどこかでバカにしている。
呆れた。そんなに重要な人間だと思ってるのか、彼にとっておまえが。
ほんの少し気まぐれで勉強を教えただけの子供だろうが。帰ってきたあいつはおまえのことなんか忘れてもっと出世して偉くなるだけだぜ。
危険を冒してどうするんだよ、逃げろ逃げろ。
自分自身を罵倒する声は、それでも至極真っ当なことを言っていると思う。
お前は愚かだ、と自分の中で声がする。
「……俺もそう思う」
ばかだな、と思う。
暗愚を自覚しているが故に、自分はここを動けなかった。
ハクロは高級な宝石をごっそりとちりばめた扇で顔を仰ぎながら、翌日の午後にやってきた。
「それで、今この店の儲けはどのくらいあるんだ?」
用意した権利書や財務書類を目の前にどっさりと積み上げてやったのに、ハクロは目もくれずにエドワードにそんなことを直接聞いてきた。
「へ?」
「だから、今用意できる現金はどのくらいあるんだね」
「……目の前の書類を見れば一目瞭然かと」
こんな子供が書類を持ってくることにも不審を抱かないのか、ハクロはふうむ、と顎をさすって財務書類を捲った。
「…………わからないんだが」
経理の知識がないんだからこんなものは読めない、と言われ、まあそりゃそうだなとエドワードは普通に思った。
床に座り込み、何冊かある書類を見て唸っている男は、それなりに理解はしようとしているらしい。
残された数冊の本をまだ手にしたままだったエドワードは、座って悩む新しい主を奇妙な感覚で見た。
へんなの。もっと、悪い奴かと思ってた。
正直、速攻店に出ろ、とか言われるか、何でこんな子供がここにいるのかと怒鳴られるかと思ったのに、エドワード自身には興味がないらしい。
頭の中で考えていた対応策を消していきながら、とりあえず目の前の無能な男に声をかけた。
「現在、店にはほとんど現金はないです。奪われたら困りますから。ここはあまり男手がないので」
「それもそうだな。ならどこにおいてある」
「市内の銀行に、一千万センズほど。それとは別の銀行に積み立てで三千万センズです」
さらりと述べたエドワードの顔を、初めてハクロはまじまじと見た。
ぱたん、と開いていた帳簿を閉じ、ぐい、と顔を寄せてくる。
「お前、なんだ?」
やっとエドワードを一個の人間として認識したらしい。
「雑用です」
おまえみたいなガキが?と言いたげな視線でじろじろと上から下まで眺められたが、その視線には色艶めいた物は混じっていなかった。
「お前は店に出ないのか?」
「俺が店に出ると、雑用がいなくなるんで」
「雇えばいいだろう」
「これ以上人件費増やせません」
さらさらと応えるエドワードに対して、ハクロは唸ってばかりいる。
怒鳴りつけるタイプでは、あまりないらしい。
……そうだろうな。エドワードが事前に入手した情報を総合すると、ハクロの評判はなんといっても「無能」これにつきた。
性格が荒いとか、怒鳴るとか殴るとか、人を陥れるとか、そういうタイプではないようだった。
ただただ「頭が悪い」……らしい。
ハクロの頭の中で結論が出たらしく、うなり声がやんだ。
エドワードの方を嬉しそうに見るので、その気持ち悪さについ眉が寄る。
なんだその「いいカモをみつけた」みたいな顔。
「ところで雑用君」
「……なんですか?」
嫌だな、なんか気持ちが悪い。すごいアホなことを言ってくる気がするのは予感ではなく直感だ。
「その四千万センズのうち、とりあえず一千万センズでいいか。私の口座に移してくれ」
「……なにするんですか?」
唇の端がぴくぴく震える。
聞いてはいるが、確認だ。こりゃあ鳥でも想像が付く。
ハクロの奥さんは、高級ブランド品が好みで、でもいつもハクロの稼ぎが少ないと愚痴を零していてとか、頭が上がらない旦那は自分は遊ぶ金もないと言って、部下に珈琲おごらせるとか、なんとかかんとか、で、まあ。
――付き合いの全くなかった親戚が持ってた遊郭の権利書と帳簿とか言い出すんだから、予測はしまくっていたんだけど。
エドワードの引きつった笑みに気がつかない鈍い将軍は、少し胸を張って、なぜかえばった。
「だってここは私の店なんだろう? 売上は私のお金になるんだから、貰っても問題ないはずだ」
「…………」
やっぱり予想通りだった。
(終わり)
