35,5(連載中)
キンブリーのやり方はある意味間違ってはいない。
止めるエドワードを無視して、無理矢理実行された利益倍増計画は、ハクロの顔をますますでれでれとさせた。
その代わりに店の女の子達の疲労と不満を増やしたのではあるが。
そんな状態でも、エドワードはなんとか裏帳簿の存在を隠し通せてはいた。給料を大幅に減額させられた彼女たちに、こっそりとお金を渡すくらいの余裕はある。
――しかし、今は分かっていても金を渡すことができなかった。キンブリーは聡い。今下手にエドワードが動けば、絶対に彼はこの隠し金の存在に気づくだろう。
ただひたすらに悔しくて、エドワードは、帳簿の利益の増加と、経費の減少をむかむかする気持ちで眺めた。
こんなのは長く続かない。
そうエドワードは何度も言った。
最初だけは、従業員を締め付けることで利益が出るかも知れないが、エドワードから見れば、疲れた彼女たちは前ほどの笑顔を見せることが出来なくなっているし、お客さんも、どうしたの?とエドワードに聞いてくることがある。
利益ばかりに注目しているが、キンブリーが辣腕を振るうようになってから、三ヶ月。
客数は鰻下がりに下がっている。
売上の悪い子を解雇だけはされないように、と思ってきたが、こうなってしまえば解雇されて他の店に移った方が彼女たちにとっては幸福なのかもしれない。
「あーもう!」
誰にもぶつけられない文句を吐き出して、自室の布団に倒れ込む。
隣の布団では既にアルフォンスが寝息を立てていたので、あまりじたばたと暴れるわけにもいかない。
布団側の電気をつけて、ずるずると這いながら、床に転がった今日の新聞をのぞき込んだ。
――戦争は、まだ終わらない。
一面には、またもやあの焔の錬金術師の姿がある。
頬杖をつきながら寝転がり、もう丸暗記した記事をまた読んだ。
「遠すぎて顔がわかんねえじゃん」
部下数人と共に立っているらしい姿が一面に載っているが、印刷が悪いのか、カメラが古いのかよく見えない。記事は彼の功績を褒め称えるいつもの内容なので、安心した。
死亡や大怪我という記事がいつか出るのはないかと、新聞が届くたびにびくびくしているからだ。
経営で行き詰まると、エドワードは自分の中の男に、どうすればいいか、といつも聞いてみた。
そうすると彼はいつも笑いながらエドワードに解決法を教えてくれていたのに、最近困ったことに聞いてもなにも答えてくれないのだ。
理由なんて分かってる。
あまりに長いこと会っていないから、顔を忘れ始めているためだ。
だからこうして、たまに見る奴の記事だけが今の彼の顔を見る唯一の資源なのに、カメラワークが毎回悪い。
「……はあ」
新聞に顔をくっつけ、目を閉じた。
何年会ってない、とか、そういうことは考えないようにしている。
考えるとぞっとするからだ。
多分俺は、安心したいんだろう。
安心できる相手は、あいつの隣だけだった。もう手に入らないと分かっていても、不思議とエドワードの心臓には奴の形をした棒が刺さっていて、倒れ込みそうになると、勇気を奮い起こさせる。
これが、ギリギリの自分をつなぎ止める唯一の物であるのは、分かっていた。
多分、隣で寝ている弟と同じくらい、心の中のこの男を奪われれば俺は壊れる。
「迷惑だろうなあ……」
あっちにしてみれば、ちょっとかまってやった子供なんかに、何年経っても勝手に道標にされてしまっていて。重すぎると思う。
でも会うこともないし、言うこともないから別にいいんだけど。
会えない、と考えると胸が万力で摘まれたように痛むので、エドワードは新聞を壁際に放り出し、電気を消して布団の中に入ると丸くなる。
新聞を切り抜くのは明日にしよう。
あいつのことを考えると、なんでも耐えられるって思うのに、同じくらい、奴のことを思うと心臓が真っ黒になって、嫌な涙が出てくる。
あいつと別れてから、何度目の春が来ただろう。
考えないようにしている。
俺はひょっとして、もう狂ってるんじゃないだろうか。
考えないようにしている。
俺はひょっとして、寂しいんじゃないだろうか。
考えないようにしている。
……考えない。
考えない。考えない。考えない。
考えたら多分――、だめだ、この先も、考えちゃダメだ。
考えるべきは減っていく客への対策と、従業員への待遇悪化への対策だ。
それ以外のことは、忘れろ。
そうしていたら多分、眠りが来るのなんて、あっという間。
(終わり)
