4(連載中)
「…俺?」
「君にとっての切り札。この手が出ればすべてを覆す物。最強のもの」
「……」
真剣な男の瞳とともに差し出された一枚のカードを、賞状みたいな気持ちで受け取った。
黙って、白い紙を見つめる。JOKERとだけ書かれたそれには、今はまだ何もない。
すべてを覆す。
最後に出す物、場を逆転させる物。
「切り札は、相手にとっても切り札だ。…手の内にあるときはいいが、相手に渡ると地獄が待っている」
「………」
「だから、出さないですむに越したことはない」
男の黒水晶の瞳は伏せられて、静かにコーヒーを飲んでいる。ぼんやりと見つめていると、なんだか絵の中に持って行かれそうだと思った。
相手に取られると困る物。
最後まで出さずにすむなら出したくない物。
場を逆転させる物。
「…アル」
取られたくない、出したくない。そして、弟がいないと戦えない。もし立ち竦んで倒れそうになっても、弟が立てと言えば、立ち上がる。
それは切り札ではないのかもしれない。でも場に出すだけでエドワードを強くすることが出来るのはこの存在以外にありえないと思った。
「…そういうと、思ったよ」
男の微笑みは苦い珈琲みたいに痛々しかった。そう、俺は最後の時にきっと大佐を選べない。
そして男はそれを知っている。知っていてそれでもかまわないと、それでも好きだからと言うけれど。辛くないわけが…ないのだ。
それでも、選べない。選べない自分が嫌で、大佐に申し訳ない気持ちになっても、自分にとってあのたった一人の弟は、喪えばきっと身体の半分がなくなったような気持ちになるほど己の一部なのだ。
そんな気持ち、ロイには一生持てなくて。
立ち上がったら死んでしまうかもしれない状況の時に、もしそれでも血塗れで立ち上がると事があるとしたら、それは多分弟の為であり、奴のためではない。
――――――――――それでも。
脳裏に、大佐の姿を思い浮かべないわけではないのだ。
「…アルの身体が戻ったら」
「うん?」
「俺が、あんたの切り札になってやる」
ぎゅう、と掌を握り締めた。
もしその時にこの男がまだ大総統を目指そうとしていたら、まだ野望を消化していなかったら、その手伝いくらいはしてやろうと思った。
いや、してやりたいのだ、きっと。
じゃないと、男は一人で走る。側にいると気がつかないままに、きっと後を振り返らずに。
結構、勇気を出して言ったらしい言葉は、やっぱり。
「…期待しないで、待ってるよ」
男には届かなかった。
笑って誤魔化して、場を流すのは大人の常套手段。そんな風なあしらいはエドワードのもっとも嫌いとする物だ。
微笑むロイには、邪気もなくて、悪気もない。ただ、そのエドワードの言葉を、喜んではいるけれど信じてはいないのだ。
…そうかも、しれない。
今までの行動を思うとそう思われても仕方がない。だけどそうして諦めるように笑われることが、どれだけ人の心を弱り挫けさせると思うのか。
「信じてないだろ」
「そういうわけでは」
「嘘」
唐突に頭に来た。
所詮そういうものだと諦め手を離されることが。そしてそれを微笑みで誤魔化し、見えない振りをしようとすることが。
俺なら、多分嘘でも信じようと思う。だがこの年上の恋人は嘘だから信じまいとする。俺の知らない十四年が、大佐をそうした。
悟ったのなら許そう。だがこの男は、諦めただけだ。
気がついた瞬間、胸の奥がつん、とした。俺が側にいるのに、一人だと言われるのは許せない。
テーブルに放置されていたボールペンを手に取ると、真っ白のジョーカーに乱暴に自分の名前を書く。
目の前の大佐が、想像以上に驚いた顔をして、コーヒーを落っことした。
中身はすでになかったそれは、ソファーにあたって、ごん、と石みたいな音を立てて床に転がる。
蒼白になった男に、ほら、とカードを渡した。
「鋼の」
「書いたぞ。俺の名前」
だから、これは大佐の物だ、と押しつける。
「……は、は」
大佐は、乾いた笑いを浮かべて、そんな俺の両手をカードごと握り締める。
信じられないとか何とか呟く声と、呆然と見下ろす姿に、眉をしかめた。
「…本気なのか」
「だって、あんた信じねえんだもん、むかつく」
「じゃあ、これは私のカードか」
「他の人の名前がよければ、書き直せよ」
それこそ中尉でも誰でも良い。書けばいいのだ。自分が切り札だと思う人間を。
ぎゅう、と大佐はエドワードの両手を握り締める。
「君以外の名前を書くつもりなんか、最初からないよ」
「……」
「でも、ばかだな。鋼の、本当にしらないのか。このカードは――――――――――」
握り締められた両手の隙間から熱が上がってくる。
ちりちりと針で刺されたような感触が、その手にしたカードからすることに、エドワードは息を呑んだ。
(終わり)
