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「――――――――――私だって嫌だよ」
息が止まったが、言葉は反射的に反応してくれた。
肉が裂かれて、内臓が散らばった。なんで血が出ないんだろう、と不思議に思う。
うわ、人の心臓って、破壊されても動くんだ、すごい。
だって、これ、止まったぞさっき。
………分かってるよ、そんなこと。
キスが嫌な事なんて、知ってる。
分かってるからいちいち繰り返してくれなくていい。
トドメをわざわざ刺してくれなくても、放っておいてくれれば頑張って諦めるから。
これ以上聞きたくなくて、立ち去ろうとその脇を通り抜ける。
一瞬の躊躇いの後、その腕の裾を引っ張られた。
「…待てよ」
簡潔に止められて、振り返る。その隙に両方の手で腕を掴まれた。
「待てよ。お願いが、あるんだ」
「……お願い?」
珍しいこともある物だった。
借りが出来るのは嫌だと、滅多にそんなことは言わないのに。
「一回で、いいから」
「…鋼の?」
俯せた顔が、決死の覚悟で上がった。
「一回でいい、それ以上言わないから。だから、……もう一回、だけ」
「――――――――――え」
さっきとは違う理由で又心臓が止まる。切り捨てようとしたものが、即座に這い上がってくる。破壊されたはずのそれが、一部だけでも痛覚を持ってロイを蝕んだ。
「あんなゲームみたいなの、嫌だ。…あれが、最初で最後なんて、嫌だ」
「鋼の」
そろりと腕が降ろされる。
「あんたにとっては嫌なのは分かってるけど、…もうわがまま言わないから」
「…鋼の」
いかん、上手い言葉が出ない。
こう、なんかかっこいい台詞はないのか、私。
いや、あるだろ。普段なら勝手に口から出てくれるはずなのに、脳味噌は解凍作業が間に合わないらしい。
「駄目――――――――――だ、よな?」
首を傾げて、怯えるように問われているのに、それでも口は動いてくれなかった。
そんな、頬を染めて、半泣きで、諦めを抱えて、笑うな。
それはこちらの専売特許だったはずだ。
呆然と立ったままのロイに、エドワードの顔はますます絶望的に歪んだが、それでも彼は留まった。
「さっきも、頬とか手とか思い浮かばなかったのは、ええと、ほんとは、ずっと……………ごめん!やっぱりいい!」
限界だったらしい。
少年は途中までぽつぽつと喋っていたが、突如我に返ったのか、脱兎の如く側を駆け抜けた。
「あ、鋼の!」
景色の中から、金色の尻尾が失われていく様に、やっと脳が復活した。
それこそ転げそうになりながら追いかけて、思わず腕を引っ張ると、胸にかき抱く。
(あ…、小さい)
ばれたら殴られそうなことを考えながら、重力と慣性に従ってそのまま倒れ込んだ。
結構勢いよく後頭部を床に打ち付けて、数秒意識が遠のく。
気がつけば、腰の上をまたぐようにエドワードが座り込んで、困った顔でこちらを見ていた。
「大佐」
「すまん、棚から落ちてきた餅を落とすところだった」
「…は?」
怪訝そうな声を聞きながら半身を起こすと、エドワードが慌てて身体の上から逃げだそうとする。
その動きを左手一本で封じ込めて、その隙に右手で彼の左腕を掴んだ。
「大佐?」
間近で見る顔は、不安と不思議でその瞳が揺れている。
睫毛まで金色なんだなあ、と気がつけば無性にそれに口づけたくなった。
こつん、と額を彼のそれにあわせれば、戸惑いの瞳が驚愕に変わる。
「…すまん。私も、あんなのは嫌だ」
「………ごめ、」
ひくついた喉から、謝罪の言葉が漏れて、その健気さに気がついたら、もう口は止まらなかった。
「だから、もう一度」
瞼の水滴を舌で吸い、そのまま驚きで開いた小さい唇を封じ込めると、それこそ彼の身体は痙攣したのかと思うほど瞬間跳ね上がった。
「……っ!」
いきなり逃げる舌まで追いかけたから、彼にはきつかったらしい。思わず逃げる腰を抑えて身体ごと無理矢理こちらに引き寄せれば、今度は彼は固まったように動かなくなった。
「…や、…ぁ」
息継ぎの合間の、切れ切れの声。
――――――――――いや、じゃない。
したい、と言ったのは君だ。
ああ、もう、一生観客で居ようと思っていたのに。舞台に引っ張り出したんだから責任を取って貰わないと困る。
だから、嫌、という声が消えるまで繰り返した。
初々しい動作に、理性が緩み、衝動は膨れあがった。
「…好きだったよ、ずっと」
赤く充血するくらいに貪って、満足。
そう言って、唇を離せば、小さく吐息を漏らしながら彼は唖然とこちらを見て、熱でぼんやりした視線を向けた。
「最初で最後なんかに、するつもりはないよ」
むしろ、最後なんて、なくていい。
腰の上に座り込んだまま、少年は目を見開いて、小さく震えた。
恋人同士みたいに近い距離。
いや、みたいじゃない。もう、そうする。墜ちてきた方が悪いのだ。
「君も、だろう?」
「………ぁ」
その、図星を指されたような顔に、欲望はどくどくと上がる。赤ばんだ頬は嘗めたら美味しいのだろうかとか、その服の裾から見える首筋はどれだけ赤い鬱血がつくのか、とか。
……誘われてるのかな。
――――――――――そんなわけはない。
あれはただの無意識だ。自然体でそこにいるだけなのにこちらが勝手に盛り上がっているだけだ。
その証拠に、別に抱いてくれと言われているわけでも好きと言われたわけでもないわけだし。
「…大佐」
小さく、大佐、と呟くのは止めてほしいな。今ならにゃあ、と言われただけで誤解しそう。
「――――――――――最後じゃ、やだ」
声と同時に、胸にとすん、と彼の頭がぶつかった。
「…え?」
顔を見せないように胸にぎゅう、と縋り付いて、ロイからはつむじしか見せてくれるつもりはなさそうだけど、首筋まで真っ赤なんだから、何が言いたかったかは丸わかりだ。
あ、誘われてるんだな、と。
誤解は瞬時に反転して、勝手な真実に切り替わった。
…………もちろん、子供にそんなつもりはないので。
数分後には真っ赤になった少年一人が屋上から飛び出てくる結末になるのだが。
(終わり)
