黒の祭壇

黒の祭壇

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25(連載中)

 一週間後。
 前と同じようにみんなが休憩室に集まる。
 姉ちゃん達が集めた情報を全部聞いたエドワードは、報告書片手に溜息を吐いた。
「見事に軍人だな……」
 おっさんが言ってた軍人のパターンその3に当てはまる。
「上司の受けはよく、部下の評判は最悪。なるほど、金と出世のことしか考えてないってのはあたりかも」
「私反対」
 何もまだ言ってないのに、ナナ姉ちゃんが手を上げて宣言する。
「わたしも」
「わたしも」
「あんなのに真実を伝える必要はないと思います!」
 次々に手が上がり、またかしましく騒ぎ始める。
「……てえと、つまり、黙ってよう、ってこと?」
 エドワードが頭を掻きながらおずおずと聞くと、うんうん、とみなは一斉に頷いた。
 それが無難だろうなあと思いつつアンナ姉ちゃんを見ると、心得た顔をして笑っている。
 ここで、いや、やっぱり……などとエドワードが言い出したら、追い出されるのは自分の方かもしれない。
 世の中多数決だと聞く。この店の未来のことはこの店で長年働いてきた彼女たちが決めることだとエドワードも思う。自分はただの居候で、衣食住を貰う代わりに少し労力を提供しているだけだ。決めるのは自分じゃない。
「しかたねえか、ばっちゃんにこんな親戚はいなかったってことで」
 手にした報告書を引き裂く。紙が破れる音は、なぜかこの陰鬱とした数日間を吹き飛ばしてくれそうに気持ちがよかった。
 そのまま調子に載ってきて、中身が分からないくらいに粉々にする。
 せっかくまとめてくれたハボック兄さんには悪いが、孫捜しを続けて貰うことにしよう。
 ハクロなんていうのはただの軍人だ。この店とは関係がない。
 エドワードの態度にほっとしたのか、みなが肩を落とすと、胸を撫で下ろす。
 安堵の表情に囲まれ、エドワードも少し寂しいながらこの現実を受け入れることにした。
 自分だって、この店がわけの分からない奴に掻き回されるのはいやなのだ。
 きちんと経営をしてくれるなら譲り渡したかったが、どうもハクロの評判を聞くに、貰った翌日に誰かに売り飛ばしてもおかしくないように思えた。
 自分と違ってこの店に未練などないのだろうから、それもありえることだ。
 てっとり早く金が欲しければ、この店を従業員ごと売り飛ばせば億近い金は入るだろう。
 この店は、高級ではないが評判はよく、ばっちゃんが死んだ時もたくさんの奴が譲ってくれと現れたくらいなのだから。
 だがこの店の価値をそこまでにしたのは、先代の楼主だ。
 彼女の客への気配りと、従業員への手厚いケアがあったからこそ、この店の女の子達は素直でやさしく育った。
 ばっちゃんの望んだ通りに自分がこの店を経営出来ているのかはエドワードにも分からないけれど、きっとハクロがやるよりはましなのだろう。彼女たちの態度がそれを物語っていた。
「あの……」
 安堵と歓喜に沸いているみんなの中で、一人手をあげたのは、ローザ姉ちゃんだった。
 異国人というローザ姉ちゃんの独特の銀色の髪がさらさらと揺れる。
 控えめな彼女の固く重い声に、騒いでいた聴衆はぴたりと止まった。
「どうしたの?ローザ」
「私、ちょっと、やなこときいたの、みんなはハクロのことしか聞かなかった?」
 不安と怯えを混じらせて、ぐるりとローザはみなを見渡すが、エドワードを含め誰一人としてローザの不安を理解する人はいないらしい。きょとんとしたまま彼女の次の言葉を待っている。
 そこで今更、「なんでもない」と言える状況ではなくなってしまったことに気がついたのか、ローザは唾を飲み込むと俯いた。
「ハクロが金と出世しか考えてない奴っていうのは分かったんだけど、お客さんがね、ハクロの交友関係も喋ってくれて、最近とみに仲がいいのが、………レイブンだって言うから」
 エドワードにはなんのことやらさっぱりだが、その人物の名前を言った途端、場が凍り付いたのが分かった。
「誰それ?」
 エドワードの問いかけは華麗に無視され、姉ちゃん達は大慌てでローザに詰め寄っている。
「ほんとなの?!」
「あいつ、なんで、よりによってハクロなんかと……!」
「ちょっとローザ! ただそれだけなの?!」
 複数の先輩ににじり寄られ、がくがくと肩を揺すぶられると、泣きそうな顔をしながらもローザは首を振っていた。
「レイブンの奴、なんかまだ諦めてないみたいなのよ! 楼主が死んだことで有耶無耶になってたし、そのままあいつここに来なくなったから安心してたんだけど、なんかお客さんが言うには、今日この店に行くって、言ったら……う、あう……」
 ローザが何かに気がついたのか、慌てて口に手をあてて塞ぐ。
 さっきまでとはうって変わって絶望的に真っ青になった姉ちゃん達は、ゆっくりとエドワードの方を振り向くと、又視線をローザに戻した。
「もちろんいない、って言ったんでしょうね!」
「言ったわよ! 言ったけど!」
「……それがいつまで通用するかは分からない」
 小さくリリー姉ちゃんが呟く。
 いつもどっしり構えているアンナ姉ちゃんまでもが真っ青な顔で爪を噛んでいた。
「レイブンが諦めてなくて、ハクロと繋がってるなら、あいつのことだからハクロとこの店の関係まで掴まないとはいいきれないね」
 いきなり先程までとは別の雰囲気を漂わせた休憩室。
 ―――掛けてもいい。
 分かってないのは俺だけだ。
「なあ、姉ちゃん達。なんの話してんの?」
「エド。あんたレイブンって奴と会ったこととかあるかい?」
 ぷるぷると首を横に振る。
「しらない。会ったことなんかねえよ。誰それ」
「……エドにはなくてもあっちはあんたを見たことがあるのよぉ……」
 がっくりとくずおれるリリー姉ちゃんは、半分絶望顔だ。
「なあ、なんなんだよ。なんの話?」
 漠然とした不安が沸いてきて、焦りながら問うが、皆が顔を逸らす。
 隠し事なんかない、と思っていた家族のようなみんなが、突然遠い人になったように思えて、エドワードは喉が詰まった。
 そりゃ、性別も違うから全て腹を割って話せるわけじゃないとは知ってるけど。
 まさか、今まで俺だけ仲間はずれだった?
 知りたくなかった事実は、反射的にエドワードの眉を下げた。力が抜けて倒れ込みそうになっていると、アンナ姉ちゃんがばん、と床を叩いた。
 部屋に響く無機質な音は、ざわめきがちだった部屋の中を一瞬にして沈黙させる効果があったらしい。
 エドワードを見つめるアンナの瞳は真剣で、怖いくらいに重かった。
「こうなったら仕方ない。エド、今更あんたがいないこの店なんて考えられないから言う。みんなもいいね?」
 ぐるりと全員を見渡し宣言するアンナの声には、沈黙という名の肯定が返ってくる。
 エドワードはぽかん、と口を開けたまま、背中を流れる意味のない冷や汗を感じて逃げ出したくなった。

 何でみんなそんな、深刻そうな顔をしてるわけ?
 ハクロの件が片づいて、さっきまでみんな嬉しそうだったのに。
 
 ……嫌な予感だけは、ひしひしとする。
 そしてたいてい、困ったことにそれは外れたことがないのだ。

(終わり)