黒の祭壇

黒の祭壇

> TEXT > ロイエド > 中編 > 膝抱っこ > 4

4(連載中)


 執務室の扉を勢いよく開ければ、もぐもぐといただきもののケーキを食べている鋼のが、ソファーに座ってこちらを見ていた。
「あ、やっと大佐、帰ってきた」
「……」
 入り口で、一瞬固まる私。
 そっと扉を閉じる。
 平常心が大切だ、とりあえず。
 じい、と見下ろす少年は口をリスみたいにぷっくりさせて、中尉の差し入れのケーキをうまうまと食べている。
「報告書、読めよ。俺帰れねえじゃん」
 あどけない仕草で、フォークを口に突っ込んだまま咀嚼中。
 こんな小さい生き物が、自分の膝の上にのって大人しく擦り寄ってくれば、そりゃあハボックじゃなくてもでれでれするだろう。

「――――――――――鋼の、君はなぜハボックにあんなになついてるんだ」
「?」
 訳が分からない、と言う顔。
「さっきまでハボックの膝の上で寝ていただろう」
「…ああ、あれ。…それがなにか?」
 少しでも照れるかと思ったのに、至極普通に問い返されて、ちょっとぷちんと来た。

「ずるいぞ!」
「は?」
「ハボックばかりずるい!私だって君が頼めば膝なんかいくらでも貸してやるっていうのに!なんでハボックの膝の上ばっかり!」
 しかも、私たちに内緒で、っていうのがなんだか腹正しい。ハボック以外の膝は嫌かね、そういうことかね!
 ひょっとしてハボックが好きなのかね、と言いそうになったが慌てて己の口を止めた。
 うん、と言われたらちょっと立ち直れない。
 ハボックは優秀だが、公私混同で一人大切な部下を失うような羽目に10%くらいはなってしまいそうな気がしないでもないでもないでもない。
 突然の駄々こね大人の発言に呆然とエドワードがフォークを口から離してこちらを見上げている。ほっぺについている生クリームを舌で嘗め取りたくなった。

「…私じゃ、駄目なのか」
「は?」
 さすがにちょっと恥ずかしくなってきたが、勢いのまま言った。
「私の膝の上に乗ってみようとか私に抱きついてみようとは思わないのか」
「だって、あんた、からかいそうだし」
「……」
 頭に石つぶてが飛んできた幻覚が、ロイを襲う。
 この時こそ己の普段の行動を呪ったことはない。たしかにいきなりそんなことをされたら照れて動揺の余り、とりあえず茶化す気がしたからだ。
「普段から、口を開けば嫌味しかいわねえし」
「………」
「豆豆ばかにするし」
「…………」
「膝に乗ったりすりついたりしたら、すんごい馬鹿にされそう」
「…しない」
 素直になれずに虐める己が憎い。そのせいでハボックに美味しいところを何ヶ月も取られていたのだ。

 だが、今の発言で確信したものがある。別に鋼のは、ハボックではないと駄目、というわけではないのだ。
 ハボックは優しくて馬鹿にしないからと言っていた。つまり優しくしてくれるのならば、ハボックではなくてもいいはずで。
 そうと決まれば、頭脳はフル回転。
 ここで言い負かされるわけにはいかない。何が何でも彼の気を少しでもこちらに向けねば、ハボックに負けてしまう。
 口八丁手八丁で絡め取る事は可能かもしれないが、そんな余裕は消えていた。それでは、子供には伝わらない。
 伝わりやすい言葉を必死で探す。

「そりゃ、私は女性みたいに柔らかいわけでもないし」
 でもそれはハボックも一緒で。
「安心するにはほど遠いかもしれないが」
 ほかに何か己のアピールポイントはないか模索するが全くなくて泣けてきた。
「君のことを大切に思っているのは私も一緒で」
 それこそ、一生手元に置いておきたいくらいには。
「君が人肌が恋しいというのなら、少しぐらいは癒してあげられるかもしれないし」
 ああ、でもハボックと違って、自分に癒しって、これほど似合わない言葉もないかもしれない。
「だから、鋼…、の?」
 やっとそこで顔を上げる。
 決心して最後の一言を口に乗せようとしたら、その視線の先には彼はいなかった。
 自分の真下の空気が重い物になったのに気がついて、反射的に視線を下ろそうとする。

 そろ、と眼下の赤いコートが動いた。
 かしゃり、と鋼の腕が鳴る音。
 おずおずと背中に伸ばされる腕。
 しがみつくようにどすん、と腹に感じた重み。
 自分の胸に埋まるようになった少年の頭に、そこから繋がる三つ編みの色に、ロイの背中を締め上げる嵐がある。
「あ…」
 咄嗟に、思考がクリアになって、爆ぜた。
 彼が自分に抱きついているのだと、気がついたのは、その後だった。

(終わり)