黒の祭壇

黒の祭壇

> TEXT > ロイエド > 短編 > Darsana

DarsanaThe world around you is not what it seems.new

 グァムに緑色のリンクが伸びたとき、ロイは全てを悟った。
 パソコンの前で息を呑む。
「これが狙いか……!」
 思わず立ち上がり、指示を出そうとして、手が止まる。
 画面の向こうでは、ロイが指示するまでもなく、全てのことを、ロイと同様に悟った仲間達が、阿鼻叫喚の叫びを上げていた。
 だが、遅い。
 止めるなら、もう一手前。グァムのリンクを貼らせてはいけなかった。
 ああ、でも無理だ。だって、今回の作戦に参加していたレジスタンスのうち、誰一人として、グァムが頂点だとは、気づいていなかったのだ。
 司令官の自分でさえも。
 八丈島はフェイクだと。よく考えたらあんな無理なラインを通そうとするはずがなかった。
 目の前のマップに最後のラインが引かれていく。
 まるで、溝を流れていく水のように。淀みなく、まっすぐに。
 
 ――そして、Darsana開幕とともに、日本は緑で覆われた。
 
 
 
 緑のフィールドで東京が覆われた時点で、エンテイライドが有利になる。
 だからこそ、かならずそれをやってくる。それ以外に向こうに勝機はない。
 分かっていた。その前提に、対策をしていたつもりだった。
 九州を覆うという偽情報を流し、瀬戸内海をエンテイライドの手で封鎖させた。自分たちは、関門海峡の細い海を、エンテイライドが通すと、思い込んでいたのだ。
 Darsana閉幕数分前まで緑で有り続けたフィールドのせいで、それが奢りだった、と気づかされる。緑色に沈んだスキャナーを見るだけで、己の失敗を見せつけられるような気がした。
 世界では、レジスタンスの方が数が多い。過去のDarsanaも、ほとんどがレジスタンスの勝利だ。そんな中、少数派のエンテイライドが勝つために、起死回生の策を練ってくることは予想が出来た。だが、まさかここまでとは思わなかったのだ。せいぜい、東京を覆う程度だと、日本を沈めることがどれだけ大変か、失敗したときのリスクを考えると、そんな博打に相手が出るとは、思えなかった。
 ――何が博打だ。韓国まで沈めている。これは博打でも賭でもなく、綿密な計算に基づいた戦略だ。
「負けだ」
 椅子の背もたれに凭れ、ロイは天井を見上げる。
「相手の司令官は誰だ。くそ」
 敬意を表するしかない。
 圧倒的に少ない人数差を、相手の司令官は知略でひっくり返したのだ。
 現場のエンテイライドはお祭り騒ぎだ、と言う連絡が入る。それはそうだ。負け確実だと思われていた戦いに、とんでもない援護が入ったのだから。
 今日会場に集まった時点で、エンテイライドは三割程度しかいなかった。彼らはほとんどが、自分たちの負けを予想していただろう。それが、姿の見えない味方が、自分たちを見ていて、助けてくれているという事を、あの緑色のフィールドで、指揮官は教えたのだ。士気があがった兵士ほど怖いモノはない。
 17:00の計測終了。
 途中経過は入ってきていたが、なんとなく、最終結果は聞かなくても分かった。
 東京Darsanaは、奴らの勝ちだ。
 あの、緑色のフィールドは、まさに彼らにとって神の盾だった。
 
 
 
『まあ、気にするなよロイ。相手が悪すぎた。俺の時にはあんな敵じゃなかったし』
 電話を掛けてきたのは、ヘルシンキのレジスタンスリーダーのヒューズだ。
「おまえはいいよな。勝ったじゃないか」
 ヘルシンキは、レジスタンスが勝った。勝者の余裕か、と愚痴ると、電話口でアメリカ人みたいな笑い声がする。
『いやー俺、東京いなくてよかったわ~』
……変わってやろうか」
『いや、いい。東京のエンテイライドとは、やりあいたくねえ」
「ポートランドのハボックも同じようなこと言ってたよ」
 ポートランドも勝ってるが。
 なんかむかついてきて、机を軽く叩く。
「ヒューズ。よりにもよって、君の気持ちは分かるよ、なんて言ってきたのは、プーケットのハクロなんだぞ……! この屈辱に耐えられるか」
『プーケットは司令官が無能でエンテイライドが勝っただけじゃねえか』
「断じてあいつよりはましだ!」
 世界各国のDarsanaでレジスタンスが勝利する中、エンテイライドに負けてしまった土地のレジスタンス達だけが、大変だったよね、やっぱり勝てないよね、なんぞと言ってくるが一緒にするなといいたい。
 ……だが、負けは事実なので何も言えず。
「ヒューズ。今回のエンテイライドの司令官、どう思う」
『どう思うって……? 優秀だな、としか。……いや、天才かもしれん』
 そう、優秀なんて言葉では言い表せないほど、相手は恐ろしい。
「Darsanaの広島でも鹿児島でも、こんなことはなかった。東京の時に、見たこともない奴がいきなり現れて立ち塞がった感じだ。……レジスタンスは、勝てるのか?」
 Darsanaで負ければN'Zeerが地球に戻ってこなくなる。そうすれば、制御できないXMに地球は包まれ、ニュータイプの人類とやらに支配される世界になる。背後にシェイパーが君臨する、傀儡の地球に。
 それを阻止するために、自分たちは戦ってきた。地球は、人間の物だ。シェイパーなんかにいいようにされてたまるか。
 その願いが通じたのか、今、地球ではレジスタンスが有利だ。いくらエンテイライドに強い指揮官が一人二人いたところで……この圧倒的人員差を覆せるとは思えない。
『ロイ。この後、Darsanaはバルセロナやヒューストンでもあるが、おそらくレジスタンスが勝つ。もし、この後のDarsanaで全敗してもトータルではレジスタンスの勝ちだ。N'Zeerは帰ってくる。東京で負けたのが悔しいのは分かるが、おまえがそんなに心配しなくても大丈夫さ』
……そうだな」
 だがなんだろう、もやもやとしたものが胸から剥がれない。
 ネット越しにいる、エンテイライドの指揮官。
 グァムと中国まで巻き込んで、見事な、本当に見事な作戦。完敗だった。
 ……誰なんだろう。
 敵に、会ってみたい、と思ったのは、初めてだった。
 
 
 
 あの大規模コントロールフィールドは、それこそ世界規模で噂になった。
 いったい何が起こったのか、話題に乗り遅れた人も多く、彼らは詳細を知りたがった。そして、関わった人間は、自分たちの努力を語りたがった。
 ロイは日々更新されていく両陣営のエージェント達の手記を、片っ端から読んで、そして理解した。
 やはり、あのCFは偶然や奇跡ではなく、完全に仕込まれていたことだったのだと。
 八丈島にリンクを飛ばしてダミーにすることも、二時の開始の時に、CFを完成させることも。
 日本語は分かりにくい。読み書きも出来るし生活には困らないが、英語の手記を読むより、やはり時間がかかった。
 それでも、十以上の報告書を、目を皿のようにして眺め、ありとあらゆる書き込みを漁ったのには理由がある。
……ないな」
 そして、それでも見つけられず、ロイは目を揉んだ。
 ――ないのだ。実際のエンテイライドの指揮官の名前が。
 実働部隊として動いていた人間達は分かった。彼らは自分たちの行動を逐一ネットに上げている。だが、彼ら全員、指示を受けていたことはいうものの、誰に指示を受けたかは全く語っていなかった。
……それもそうか。当たり前だ」
 どんな奴が指揮官か分からないが、名前がばれた瞬間、そのエージェントの名前は全世界に知れ渡る。第一級警戒人物として。
 あの戦況をひっくり返す頭脳の持ち主だ。次の証人の時に、確実にレジスタンスに取っての最強の敵になる。
 それこそ、東京に住んでいるなら、そいつが身動きを取れないようにすることを、レジスタンスは最優先として動くだろう。末端エージェントを百人潰すより、天才指揮官一人潰す方がよほど効果的。
 逆にエンテイライドとしては、当然次も指揮を執って欲しいはずだ。自分たちが何が何でも、奴の正体を割り出したいのと正反対に、彼らは何があっても指揮官だけは守らなければいけない。
 それでも、名前が分からないまでも、なにかヒントのような物はないかと、ロイはネットを彷徨う。
 性別、年齢、それだけでもいい。外見や住まいなんて我が儘は言わない。日本人かどうかも分からないのだ。あれだけの規模の作戦を考え、遂行する。時間がある学生だろうか。東京大学とかの。いや、もしかしたら大企業の部長のような人物かもしれない。いやいや、外国在住のエージェントの可能性もある。マップだけを見て、東京の地を理解できる頭脳の持ち主かも――
 なんでもいいから、ひとかけら、相手の情報が欲しかった。
 だが、エンテイライドも慎重だ。あれだけ書き込みがあるのに、ボスに通じることはなにも書いていない。
 ただ、一件だけ、三日間探して、やっとそれらしき書き込みをロイは見つける。
……きいろいひよこ?」
 パソコンを見ながら首を傾げる。
 そこには、きいろいひよこが、「グァムと繋いで日本を囲んだらおもしろくないか」と言った。という書き込みがあった。
 この人物は、当日各地のエージェントの行動をまとめていた人物だ。そのきいろいひよこの言葉を最初は冗談と思ったそうだが、やろう、と言われて、従った、と。
「きいろいひよこ……
 間違いない。それが今回の指揮官だろう。名前がpiyoとかいうのだろうか。
 頭に浮かぶ黄色いひよこのイメージが余りにかわいすぎて、あの恐ろしい作戦を考え出した人間と結びつかない。
 とりあえず、各地の信用できる部下に、きいろいひよこというエージェントに心当たりはあるか、と聞いてみる。
 一時間もすると、全員から、「わからない」と返信が届いていた。
 それはそうか。きいろいひよこ、ですら偽情報かもしれない。本当は赤いキリンかもしれないのだ。
 一歩進みはしたけれど、相手の背中すらも見えそうにない、とロイは溜息をついてノートパソコンの電源を落とした。
 
 
 
 それから一ヶ月。
 N'Zeerはまだ到着せず、エンテイライドとレジスタンスは微妙な緊張を保ちながら、日々を生活していた。
 N'Zeerが到着すれば、おそらくエンテイライドの必死の抵抗が始まるだろう。彼らはなんとしてでも、N'zeerを宇宙に戻したいのだから。おそらく今頃は、来るべきその日に向けて、秘密裏に作戦を練っているに違いない。
 対抗するためにこちらも相手側がどういう作戦をとってくるか推理して、対抗策を練らなければならないが、N'zeerの正体はこちらだって分かっていない。何が起こるか分からないのだから、相手が何をしてくるかも想像が出来ない。
 自分たちは、シェイパーを追い出すために、安易にN'zeerを呼び寄せたが、それが本当に正しかったのかどうか、結局はことが起こってみるまで分からないのだ。
 ほれ見たことか、とエンテイライドに言われるかもしれないし、逆に世界は青色に染まるかもしれない。
 ……もし、レジスタンスが勝利したら、あのエンテイライドのきいろいひよこはどうなるのだろうか。
 ふと浮かんだ考えに、苦笑する。
……だからなんだ、何を考えてる」
 会ったこともない相手のことを考えている自分に気づいて、ロイは首を振った。
 実は今までロイは、ここまでこてんぱんに負けたことはなかった。
 仕事も、女も、勉強も、自分より上手くやる奴はいたけれど、ガチの勝負で負けたことは、一度もなかったのだ。
 それが、自分の全能力を傾け、使える仲間を使いまくり、計画し、練りに練ったプランを持ってしても、その上を行かれて、そして負けた。
 上には上がいるのだ、と言う気持ちと、次は絶対にうちが勝つ、と言う気持ち。
 スキャナー越しの姿も見えない相手。
 初めでロイに敗北を与えた相手。
 だからこそこんなに気になるのだろうか。
 それとも、普段は来ない出張先の土地なんかで、夜中に一人歩いているからこそ、感傷的にそんなことを考えるのか。
 
 取引先のビルを出て、夜道を歩きながら月を見る。ホテルまでの距離は歩いて十分。
 信号で止まっている間に、なんとなくスキャナーを起動してみると、近くにポータルが一つだけぽつん、とあるのが分かった。
……?」
 今更ユニークポータルを集めるつもりもないが、そのポータルは、スキャナーごしに見ても、どこかおかしかった。
 色は青。だが、見ている間にも、どんどんと青色が薄くなっている。
……いるな」
 エンテイライドが攻撃中なのは明らかだ。少しだけ躊躇いながら、スキャナーのエージェント画面の隅の小さな鍵のマークを押す。
 数秒、スキャナーがノイズを発生させたかと思うと、青い瞳の女がスキャナー上に浮かび上がった。
 デジタルノイズにかき消されそうな、電子の世界の向こう側で、合成された若い女性がそっと瞳を開ける。ガラスのような青い瞳と漆黒の髪。
 黒い髪なら普通は、瞳も黒い。遺伝子的に変異と思われる容姿を持つ女性――それこそが、人工知能の証。ADA。自分たち、レジスタンスのリーダー。
……ARモード起動」
 流暢な英語の宣言が終わると同時に、ロイの周囲が世界を変えた。
 
 
 
 一度瞳を閉じて、開けるだけ。
 それだけで、夜の交差点は、あっという間にスキャナーの世界に変化する。
 空中を漂うXMの白い綿毛。遙か遠くに見える緑色の淡い光。LEDのような電子の緑色は、ゆらゆらと揺れながら、白い光を振りまいていた。
 普段はスキャナーごしでしか見ることの出来ない世界。
 だが、今のロイの視界は、その見えないはず世界を、二つの瞳でしっかりと見ている。
 The world around you is not what it seems
 (あなたの周りの世界は、見えたままのものとは限らない)
 それがこのスキャナーを起動したときにADAが発する言葉だ。
 その前提を根底からひっくり返す、ADAがスキャナーに仕込んだ謎の機能。
 今、この時だけは、見ている世界は、見たままのものだ。
 XMの光は目に悪い。眠らない町、東京のような、カジノのような、こんな明るい光が真夜中でもいつも光り続けていたなんて、人間は、何千年も知らなかった。
 なんでADAはこんなものをくれたんだろうか。



 半年ほど前だったか。
 ある時、ロイのスキャナーに、女が出てきた。
 その女が自分たちのリーダー。人工知能のADAであることはすぐに分かった。
 Niantic Labsから配布されるメディアの中で、何度も見た顔だったからだ。
 てっきり今回も、何らかの報告かと思ったら違った。ADAは、来るDarsanaに向けて、一部のエージェントのスキャナーを改造する、と伝えてきた。
 そして、スキャナーの片隅に、小さなアイコンが浮くようになったのだ。
 聞いてみたところ、ヒューズやハボックなど、どうやら各地の司令官と呼ばれる人間のところには同じようにADAが現れたらしい。
 彼女の目的は、世界各国で指揮者になるであろう人物を、パワーアップさせることだったのだろう。
 もともと、スキャナーはレジスタンスのために作られた物。それをエンテイライドも使えるようにした人物は、今も謎のままだ。既にスマートフォンにインストールされたスキャナーはADAの制御を外れている。
 レジスタンスにだけ優位な機能をADAが設定したところで、エンテイライドも使えるように改造した謎の人物は、おそらく修正してしまうだろう。だが、ADAはおそらく、その相手のプログラマーの隙を突き、この機能を一部のレジスタンスにだけインストールさせた。
 エンテイライド側のスキャナーには存在しない機能のはず。そして、この機能が消える時は、ADAの企みが相手にばれた、ということ。
 一ヶ月ぶりに起動したが、無事に動くと言うことは、未だこの機能は敵にはばれていないらしい。少しだけ安堵の溜息を吐いた。
 いちいちスキャナーを見なくても、視界にポータルの光が映る。
 町の妙なオブジェが青い光を放ち、周囲に八つのレゾネーターが浮く様は、幻想的でもあった。
 スキャナー越しでなくてもXMを見えるように。
 果たしてこの機能は、レジスタンスだけの物なのか、レジスタンスは知っていて放置しているのか。そしてそもそもADAは本当に、XMを瞳に映すためだけにこの機能を作ったのか。まだ今は、その回答にたどり着くには情報が少なすぎる。
「あれは……なんだ?」
 そして、ロイがそのスキャナーの機能を久しぶりに起動して、目を切り替えてまで見たかったのは、姿の見えないポータルの遙か上空に浮かぶ、黄色くて丸い物体だった。
 丸い、というのは語弊がある。三角形の形をしたシールドの様な物が、円形に集い、球のような形を構成しているだけだ。
 ポータルから溢れるXMは上空に伸びていく。その光より遙か上にある物体の正体がよく分からず、ロイは信号を渡らずに、ポータルに向かった。
 今攻撃されているらしい青いポータル。光は見えるが、建物が邪魔をして、そのポータルとなっている物体が何なのかは分からない。さすがにXMが見えるような目になっているといっても、ポータルの名前はスキャナーを見ないと不明だ。近寄りながらスキャナーを出して、ポータルの名前を調べて、理解した。
「Clam Shell……そうか、神戸西宮……!」
 忘れていた。出張先は神戸。早足で近づきながら足下を見ると、石畳には綺麗なハナアオサ。
 ――この場所は、床の模様が、ポータルに変化し、XMを発生させている。足下に埋め込まれた絵が、XMを放出しているのだ。
 そして、Clam Shell……あさりがいのことだ。
 ならば、あの頭上にあるのは一つしかない。そうだ、なぜ忘れていたのか。移動が終わったとしても、アレは消えない。
 あの、黄色い物体こそが、N'zeerを呼び出す共振の球。
 クラムシェルの五十メートル前まで近づいて、足が止まった。
 真っ青なXMは、幻想的に夜の闇を染めながら、断末魔の悲鳴を上げている。
 クラムシェルを守る八つのレゾネーターが、ロイの目の前で音を立てて割れた。
 シールドがポータルから飛び出し、回転しながら霧散していく。そして、呆然と立ち尽くすロイの目の前で、クラムシェルは緑色の光を放ちだした。
 復活し、回転を始めた緑のレゾネーターが、主を守ろうと空中を漂う。
 
 ……間に合わなかった。
 
 いや、でも、最初からこのポータルを守ろうとして、近寄ったわけではない。
 ただ、珍しい物が浮いていたからその目で見たかっただけだったのだ。
 ――なのに、もう、頭上に浮かぶ球など、頭からすっかり消え去る。
 スキャナーを閉じて、顔を上げた金髪の少年が、こちらを振り向いた瞬間に。
 
 
 
 クラムシェルのすぐ側で、一人の金髪の少年が立っていた。
 髪の毛がポニーテールだったので、最初は少女かと思ったくらいだ。
 緑色の光に炙られ、浮かび上がる白くて黄金の少年は、その造形の綺麗さのせいで、まるで人間ではないみたいだった。
 白磁の肌。光をはじき飛ばしそうな金色の髪と、絵の具で作り出すことが出来そうにないほどの純粋な黄金色の瞳。
 心の底から、自分の瞳に感謝する。それほど、緑の淡い輝きの側に立つ少年は、幻想的で、夢のように綺麗だった。
 ロイは呆然と見惚れたまま、ぽつりと呟く。
……きいろいひよこ」
「は?」
 なぜだろう、口からそんな言葉が出て、耳ざとく聞きつけた目の前の少年が、人形みたいな顔を一気に歪めた。
「今俺の事小さいとか言わなかったか?」
「い、言ってない」
 どうやら少年は気にしているらしく、あっというまに人間の顔になった。
 天使か人形だった子供は、ずかずかとロイに近寄ってくると、人の顔を下からのぞき込む。
 なるほどたしかに小さ……
「青? 緑?」
……残念ながら、敵のようだ」
 勢いに負け、小さく両手を挙げて降参の意を示す。
「壊すなら防衛するけど?」
 少年は、首を傾げて余裕めいて言う。
 基本的にポータル争奪は、攻撃側が有利だ。一対一で戦ったら、力押して攻撃側が勝つ。どんなに防衛しても、シールドを埋め込んでも、基本的には、勝てない。
 というのに、自信満々に防衛する、と言うからには落とされない自信があるのだろう。
 遠隔でリチャージをする仲間の当てがあるのか。ならば無理だ。ロイはあっさり白旗をあげた。
「いや、別に攻撃したくて来た訳じゃないんだ。出張で少し寄っただけで。……珍しい物があったから」
「ああ……アレか」
 見えるわけはないのに、少年はクラムシェルを振り返る。ロイの視界には、クラムシェルの上で相変わらず浮遊している金色の球が見える。
「HELIOS Artifact。この場所はエンテイライドのTargetPortalだ」
「まあな。ヘリオスが終わっても、アーティファクトはあのまま残ってる」
……残って貰わないと困るよ」
 アーティファクトが、N'zeerを呼び寄せてくれるのだから。
 いいたいことが分かったのか、目の前の少年は少し眉を寄せた。
「よかったよなあ。レジスタンスは。Darsana勝ったし」
……ここでそれを言うかね。世界的には勝ったかもしれんが、東京では完敗だよ。見事なまでに負けた」
「そうだけど、でも対局をひっくり返すまでにはいかなかった」
 少年は少しがっかりした感じで息を吐く。
 少し俯きがちの目線。長い睫まで金色だ、と思わずまじまじ眺めてしまう。
……きいろいひよこ……
 上から下まで金色の子供。抱きしめたいくらい小さくて、ひよこみたいに愛らしい。
 さっきから、頭の中をひよこがぴよぴよいいながら歩いている。
 触れたらふわふわなんだろうか。
 思わず髪の毛に手が伸びる。
「あんた名前は?」
……っ!」
 髪に触れる数秒前に、話しかけられ手が止まった。
 心臓が跳ね上がり、その後にすぐ冷や汗が出てくる。
 あ、危なかった……! 何してるんだ私は、これではまるで変質者のようだ。
「名前? 名前はマスタングだ」
「それ本名?」
「本名だが、エージェント名も同じだ。君は?」
 そういえば、自己紹介もしていなかった。当然相手の名前を聞き出そうとしたのに、ロイの名前を聞いた瞬間、少年は眉を顰めてぴょん、と一歩後ろに飛んだ。
「ま、マスタングって……ただのマスタング?」
「そうだが……
 いきなり警戒心マックスにされて、首を傾げる。少年は声を荒げていった。
「Elite Vの一人じゃねえかよ! なんでそんな奴がこんなところにいるんだよ!」
 人を指さした子供は、ぎゃあぎゃあと喚く。ずるい、とか酷い、とか訳の分からないことを言い出したがやっぱりかわいい。これがひよこか。
……そんなことを言われても」
「名前が名前だから、外国にいるのかと思ってたぜ……! まさか日本にいるなんて」
「仕事の都合で去年から日本なんだよ」
 それでいうなら君こそ外国人なのになぜ日本に、と言いたくなるところだが。
「Elite Vなんて言われても、東京のDarsanaでは負けてるしな、あんなもの意味がないさ」
……まさか、あの時指揮してたのって、あんたなの?」
――違う。私は見ていただけだよ。誰がリーダーかも知らない」
 馬鹿正直に敵に情報を漏らす馬鹿はいない。平気な顔をして嘘をつくのは慣れていた。
 首を傾げながら肩を竦めると、教えてくれる気はないと分かったのか、少年は口を尖らせた。
「ケチなおっさん。Elite Vが関わってないわけないだろ」
「あの作戦の時のエンテイライドのリーダーを教えてくれたら、こっちも教えてもいいぞ」
 言った後に、即まずい、と思った。
 あれ? 何を言ってるんだ私は。いくらその場の勢いとはいえ。さっき適当に誤魔化してから十秒しか経ってない。
 いくら相手の正体が知りたいからってこちらの正体を明かしてもいいことなんてないのに。しかもあの時のレジスタンスのリーダーが誰かは、レジスタンスの仲間が必死で隠していることだ、それを隠されている本人が皆の努力を無駄にしてべらべら喋るつもりか。
 なのに、勝手に口から出たのは、どうしても、どうしても知りたかったからなのだ。
 あの時の、エンテイライドのリーダーが誰か。
 そうだ、もし名前が分かれば、こちらの正体がばれたとしてもそれなりの収穫のはず。問題はない。
 そう、自分を誤魔化しながら彼の答えを待つ。
 だが、少年はばつの悪そうな顔をしながら、地面を見て考え込んでいた。
 ――知ってる、のだ。
 この様子は、知らないのではない。知っているが喋りたくないのだろう。知らないのなら、即、分からないという。迷っている素振りはチャンスの証。
 つまり、相手も悩んでいるのだ。エンテイライドとて、あの時のレジスタンスのリーダーが誰かを知りたい。
 沈黙のままうやむやにされそうな雰囲気に焦れて、ロイの方から仕掛けてみる。
「私の情報ではきいろいひよこだ、と聞いているが」
 ――そう、まさに君みたいな。
 白くて金色でふわふわして小さい。
 そこまで考えて、口を閉じた。
 頭には、あまりに突拍子もない考えが浮かぶ。
……まさかな)
 目の前のこの口は悪いが外見だけ満点の少年が、いや、外見だけなら黄色でひよこで当てはまるが、まだ子供だし。
 そうだ、さっき緑にしたなら、彼のレゾネーターが刺さっているはず。
 慌ててスキャナーで名前を確認する。
……エドワード?」
 エージェント名はエドワード。レベルは――8だ。
 どっと気が抜けた。
 さすがに、あれだけのエンテイライドのリーダーがレベル8ということはあるまい。いくらなんでも10以上だろう。8だなんて、チュートリアルを終了したばかりだ。
 やっぱり自分の勘違いだったのか。
 そう、肩を落としてから、はた、と思った。
 なにをがっかりしているんだ私は。
 目の前の子供が何も喋らないので、なんとなくスキャナの画面を見て、ロイは息を呑んだ。
 一気に背筋に鳥肌が立つ。
 ……なんだこれは。なんで気づかなかった。
 目の前のレベル8の子供に、突然の恐怖を覚える。
 問題なのは、レベルじゃあない。その下だ。
 ――これは、この子は、変だ。
 ただのステータス画面に浮かぶ六角形のメダル。ただのレベル8。どこにでもいる平凡なエージェントの一人。
 だけど……これは、異常だった。
……君、レベルが高くない割には、昔からやってるんだな」
 なぜ、話を続けたのか分からない。普通、他の陣営の人間と遭遇しても、適当に世間話をしたら別れるのが常だ。それに、自分の様に下手に有名人だと会話を敵と続けることでどんな情報が漏れるか分からない。だからこそエンテイライドとは探り合いのような会話が続くのに疲れ、早めに切り上げる。それなのに、会話を続ける自分が不思議だった。
「始まってすぐの頃かな、なんで分かったんだよ」
「Founderのメダルを持っている」
「ああ、うん、まあ……
 子供は言葉を濁す。ロイが何を言いたいか分かったのだろう。
「君はRecursionも参加したのか」
「そうだよ」
……あんな昔から参加して、RecursionもInteritusメダルも持っている奴を、日本で初めて見た」
「外国に行けばいるぜ」
 それはそうだが、普通そのクラスの人間だとLV14くらいには成っている。それが8……
 見てみると、この少年は圧倒的に実績が足りない。つまりどちらかというと戦いの最前線にはいないのだ。実際に指揮官の手足となって動き、現地でXMを制御し、ポータルやリンクを破壊する活動はしていない。
 なのに、昔から参加している。Recursionでメダルを貰うには、現地で参加しないといけない。でも現地では、「戦っていない」。
 そんな人間には、心当たりがある。
 つまり――前線に出ない人間。当日は、指揮を出し、PCの前で部下を走らせる人間。
 指揮官だ。
 これで、メダルが少ないのならば、ただサボり気味のエージェントということで片がつく。だが、Recursion、Initioそして――Darsana。全てのメダルを持っている人間でレベルが8の方が、気持ちが悪い。
 明らかに、不自然。
 この子は、ただのどこにでもいるエージェントでは、ない。
「エドワード。エドワードと呼んでもかまわないか」
「え、う、うん……いいけど。でもあんた会ったばかりなのに図々し」
「一緒に飲みに行かないか」
――ふえ?」
 最後まで相手が言い終わる前に、畳みかけるように言った。
 彼は、余りに驚いたのか、なんだかかわいらしい声を出して固まった。
 黄金の瞳がまん丸に見開かれて、口がぱくぱく開いている。分かってる、これではまるで、ナンパだと。
 だが、ロイはここでこの少年を手放すわけにはいかなかった。
 もっと話したい。この子はきっと、自分の中のぽっかり開けた部分を埋めてくれる気がする。
「の、飲みにって俺未成年」
「いくつ?」
「十五」
「なら、食事でもいい。もう夕飯は済んだのなら、お茶でもいいよ。お金は出す」
……、い、いや、あの」
 思いっきり相手はどん引きしている。少年は引きつった笑顔で誤魔化しながら一歩後じさった。
「初対面の奴と茶を飲む趣味はないし、それにだいたい俺たち敵」
――それがなんだ。私は君と話したい。君はどうして、エンテイライドなんだ」
 ――ああ、なぜこの子が、敵なんだろう。
 口に出して、ロイは自分で分かった。
 そうか、自分はきっとがっかりしているのだ。なぜ彼が、仲間ではなかったんだろう、と。
 もし彼がレジスタンスなら、きっと一緒に作戦を考えたり、もっと話したりできたのに。
 こんな出張先の偶然の出会い。そのまま別れて終わるなんて耐えられない。今別れれば、もう二度と会えない。
 ――それが、一目惚れだということに、その時のロイは気づいてはいなかった。
 
 
 
「あんたこそ、なんでレジスタンスなんだよ」
 気持ち悪い、と走り去ってもよかったのに、少年は少しだけ考え込むと、数秒の沈黙の後、まっすぐこちらを見て言い切った。その瞳の奥に溢れる意志の強さに、ぞくぞくする。十五の少年のものか? これが。
「エンテイライドなんて、シェイパーの操り人形なんだぞ? XM使って、何をされるか分からないのに、どうしてエンテイライドはシェイパーに協力するのか、私はそっちの方がわからない」
「使えるもん使って、何が悪いんだよ。そりゃシェイパーは信用できねえかもしれないけど、人類が進化できたら、病気や紛争で苦しむ人達が減るかもしれねえんだぞ。俺はその可能性に蓋をして、今まで通り、なんて方が成長を諦めた馬鹿だと思う」
――ほら、だから私は、知りたいんだ。エンテイライドが何を考えていて、君のような子が、どうしてあちらの陣営なのか、と」
 そのロイの言葉は半分嘘で、半分本当だった。
 エンテイライドの考えを知りたいのは本当。ロイだって人間が2つに分かれていがみ合うなんて、本当は嫌だ。仲良くできればそれに越したことはない。だがもう半分は――君と、もっと話していたいけど、話題がこれしかないからだ、なんて言えない。
「それでお茶?」
 やっと意図に気づいたのか、エドワードが溜息を吐いた。呆れたような表情だが、嫌悪感は見えない。
「エリート5の人間が俺たちの理屈を聞いて、考えを変えてくれるとは思えねえけど……俺に、レジスタンスのTOP5を懐柔しろってか」
「そしたら君は一躍有名人だな。私は、レジスタンスの裏切り者として追われることになるだろう」
 陣営の変更は、可能だ。人間、何を考えて突然気持ちが変わるか分からない。だが今まで、中枢エージェントが陣営を変更したという話は聞いたことがない。大規模広域作戦のファイルや、ハングアウトのアカウントまで知っている高レベルエージェントが離反したら、残った人間は大慌てでセキュリティを変更するだろう。内部情報を知りすぎているために、それこそ消されたっておかしくない。
 少年は、暫く口元に手を当て、考え込む。彼にしても、本当にロイがこちらの陣営に入ってくるとは思っていないだろうが、少しでも相手の内部情報を聞き出せれば、これほど美味しいことはない。エリート5なんて肩書きは、全くどうでもいいと思っていたが、今日だけは、ロイは自分の名前が知られていることを感謝した。
 本当にエドワードがただの8エージェントなら、エドワード側からあげられる情報は僅かだ。平社員が総理大臣と会うようなものかもしれない。メリットはあれども、デメリットは少ない。
――わかったよ。お茶ぐらいなら、つきあう」
「本当か!」
 年甲斐もなく顔がほころび、思わずガッツポーズしそうになる。喜ぶ大人に、少年は呆れた顔を見せた。
「な、なんでそんなに喜ぶんだよ」
「嬉しいからに決まっているだろう。そうと決まれば君の気が変わらないうちに、そうだな近くの」
――それはダメだ』
 突然だった。
 浮かれるロイと、困った表情のエドワードの耳に、機械で無理矢理合成したような、人の声が振ってきたのは。
 
 
 
「な……!」
 慌てて声のした方向を見上げる。
 ……そう、見上げる。
 二人に掛けられた声は、明らかに遙か上空から降ってきていた。
 そんなはずはないのに。
 周囲を見渡すが、自分たち以外は誰もいない。この場所は公園の一角なので、障害物もそんなにない。いや、もし障害物に隠れていたとしても、こんなに近くで声は聞こえない。
「なんだ、あれは……
 それにそもそも、声を掛けてきたモノは、きちんと視界に映っていた。
 緑色のXMを放つポータル。その上で回り続けるアーティファクト。その緑色のXMの焔の中に、一人の人間が浮いていた。
 それは人間と言えるのだろうか。足は消え、上半身だけが浮かび上がり、そしてその身体は透けている。水に映った人の姿のように、輪郭を消えながら空中に浮かぶ人物は、五十代くらいの男だった。
 頭に毛はなく、濃い髭が生えている。少し膨らみのある輪郭は、もし全体像が見えるならば、かなり図体の大きい男だと分かるだろう。
 そして、ロイには、その顔に見覚えがあった。
 睨みつける男。明らかにこの男はロイに敵意を抱いている。
 まるでポータルの中から出てきた男。普通のポータルは、XMは内包していれど、人はいない。
 ……だが、規格外の人間が、一人だけいるだろう、暗殺され、ポータルの中に取り込まれた最初の人間。エンテイライドのリーダー。
「ジャービス……?」
 隣でエドワードが呟く。彼も想定外だったのか、愕然とした表情で浮かぶ男を見上げている。
『エドワード。その男に近づくな』
「え?」
 突然ジャービスに言われた言葉に、彼が息を呑む。
『ロイ・マスタングよ。この少年から離れろ』
……
 ただの浮遊霊ではなかった。身体を失い、魂をポータルに取り込まれた男は、明確な意志を持って、ロイを拒否してくる。
……こんなこと、ありえるのか)
 黙って唇を噛む。手のひらに汗がじんわりと沸いてきた。
 自分の目は、今はADAが与えた物だ。緑色のXMマターも自分にしか見えていないはず。だがエドワードは、ジャービスが見えていた。つまり――それはまさか、この子も。
「なぜだジャービス。エージェント同士の接触は禁止事項ではない」
『この子には近づくな』
「え……? え……?」
 エドワードは、おろおろしながらジャービスと自分を見つめている。彼はきっと、何も知らなかった。この様子ではジャービスを初めて見たのかもしれない。どうしてロイとの接触を拒否されるのか、エドワード自身も分かっていないのだ。
 ジャービスはポータルの中に存在し、今まで表に出てきたことはない。取り込まれた時点で、意識すらないのかもと思われていたが、とんだ間違いだ。
 エンテイライドのリーダーは、死んでなんか、いなかった。
 ジャービスはロイを見下ろし、透き通った腕を上げる。
『エドワードに近づいてはならぬ』
 刹那、男の周りの緑のXMが形を変えた。ぐあ、と突如膨れあがった緑色の灯りが、破裂する。
 まるで、シールドが剥がれるときのように、上空のアーティファクトが霧散し――そこで、ロイの意識は潰えた。

(終わり)