64(連載中)
このお仕事は、客の男よりも後に起きるなんて事はあってはいけない。
何故なら、男が目を覚めたときに身繕いをした女性が服を着せ、そのままいい気分で送り出すのが仕事だからだ。
客を放置してガーガー寝ている女郎など聞いたことないし、そんなことしたら、怒られる。
エドワードはただの一度も、客より後に目が覚めた事なんてなかった。
まあ、それ以前に寝ていたこともないのだが。
そんなエドワードが、始めて客より後に起きた。
ふ、と意識が戻って、目を開ける。
目の前には見慣れた火鉢があり、自分が布団に横になっているのだと気づく。
数秒、ぼんやりと壁に置いてある低い棚を見ながら、寝起きの気分を楽しんだ。
「……っ!」
五秒だった。
五秒で全部を思い出した。
あまりにも壮絶すぎて、死にたくなるような甘い記憶を。
慌てて布団から起き上がろうとしたら、半身を起こしたところで、腰の激痛に息が止まった。
「まだ寝ていなさい」
「……っ!」
痛みに悶えるエドワードに、声がかかる。それでますます思い出して、頭の先まで茹で上がった。
火鉢の横で座布団に座っていた男が、そんな俺と目が会う。
ロイ・マスタングという男は、昨夜の獣だった仕草など微塵も見せず、軍服をきっちりと着込んで、涼しげな表情をしていた。
「う……」
数年ぶりにあった男と、再会数分であんな、あんなことになるとは誰が想像しただろう。
こちらが頭が茹で上がっているというのに、相手は平然とした物で、一人だけが、動揺しているとしられたくない。だが真っ赤になって声も出せない状態を見たら、一目瞭然だろう。
そんな俺を見ていた奴は、ゆっくりと近づいてくると、手を伸ばして、人の頬を撫でた。
ぼけっと撫でられるがままに任せて、奴の顔を見る。
驚くくらい柔らかく、穏やかな顔だった。瞳の奥に見えた黒くて赤い泥はもうない。昔、公園で人の頭を寂しそうに撫でた男の事を思い出して、又勝手にぽろりと涙が落ちた。
「あああ、泣かないでくれ」
黙って泣き続ける俺の姿に、ぎょっと目を見開いたロイが、近くにあったタオルを掴んで、人の顔を拭く。
涙を拭ってくれようとしてるんだろうが、ごしごしと顔を洗うので、その慣れない様子がおかしくて吹き出した。
「だ、だって……おっさん、すげえ情けない顔してんだもん」
「し、仕方ないだろう。私はさっき目が覚めてから、自己嫌悪と罪悪感で落ち込んでいるんだ」
ひとしきり笑って、目を擦る。自分より遙かに年上の男が、狼狽えているのはなんだか優越感があって楽しい。
軽い気持ちで、何で? と言ったら、奴は俺のその発言にぎょっとして、何かを言いかけ口を開いた後に、考え込むように大きく息を吐いた。
「……まさか……初めてだとは」
「は?」
首を傾げる俺を、なぜかロイはふて腐れたように睨む。
「てっきりすごい慣れているかと思ったから、少々乱暴にしても大丈夫かと思ったら……」
「? ああ……」
罪悪感は、それのことだったのかと納得。
昨日、あまりに痛くて泣き出してしまった上に、少し血が出てしまったので、問い詰められ、こういうことしたことがないから、と素直に答えたのだ。その時には既に意識が朦朧としていてその後はほとんど記憶がないが。
「そうとも知らず、酷いことを……いや、嬉しかったんだが。――じゃない! 嬉しくない、ああ、そうではないんだ。けして君が経験豊富だったのがいいというわけではなくて、なんというか、その」
言いたいことは分かるような分からないような。
ロイは身振り手振りで何かを訴えようとしているようだが、言葉が上手くないらしく、どことなく顔も赤い。こっちはぼーっと見ているだけなのに、一人でどんどん泥沼に填っていくようだった。
おもしろすぎて、口を挟めない。
おっさんがこんなに真っ赤になって言い訳してるのはじめて見た。
「だいたい、何故だ。一晩三百万の花魁クラスだという君が、どうして、その」
「誰とも寝てないのかって?」
――そうなのだ。
一ヶ月に数人。それだけの客を取る俺の評判は巷ではよかった。値段以上に素晴らしいという噂ばかりが一人歩きしていた。だが実際は、俺は毎回ぐうぐうと寝る客の横で、勝手に鞄漁って極秘資料とかこっそり読んでただけだった。
「寝てない、とか君ね」
恥じらいを、とかわけわかんないことを言われた。自分はもっと恥じらいがないことを俺にした気がするんだけど。
立ち上がるのは難しかったので、四つん這いのまま布団を出ると壁際の棚に近寄る。三番目の引き出しを開け、その引き出しを引っ張り出した後、奥に手を突っ込んだ。
「これ」
「これは……お香?」
引っ張り出してきたのは、一本の細長い香。見た目はただの線香だ。
これが1本なくなる間、線香一本分が、客が女郎を買える時間だ。
「この香。催眠作用があってさ。これを嗅いだ奴は、さっさと眠ってしまうんだけど、その時、最後に見た人と、素敵な時を過ごしたと勘違いして目が覚めてくれる特殊な香なんだよ。ずっとそれ使ってた」
「……こんなもの、どこで」
大事そうに香を持ったロイが、呟く。
エドワードは引き出しを戻しながら答えた。
「ハボック探偵が持ってきた。なんかピナコばっちゃんから生前に預かってたそうで、こんな事態になりそうなら、渡せって言われてたんだって。俺はそんなのなんか卑怯な気がするから、いいっていったんだけど……」
個人的には、嫌だった。
男に抱かれるのはもっと嫌だったが、他の女性はみんなきちんと仕事をしているのに、俺だけこうして逃げるようで、それはフェアじゃないと拒んだ。
だけど、ハボックさんは、これはピナコばっちゃんとの約束なんだからと一歩も引かず、ばっちゃんの願いを無にするのかと言われると、何も言えなかった。
体調が悪くても断れない客がいるときには、こっそりと使うこともあったらしい。ただ乱用するとバレかねないので、使用する本人には固く口止めをして、毎回は使わせなかったようだが。
俺の場合は、月に数回しか客は取らず、その中には、俺の頭にしか興味がない客もいたので、今までに使った本数も十数本で済んでいる。
「驚いたな……あの楼主には感謝しきれん」
ロイは理解したらしく、大きく息を吐いて、感謝するように香を握りしめる。
「……そんなことも知らず、私は一人で嫉妬して、君に醜い欲望をぶつけたわけか」
なぜか奴は苦しそうに、眉を顰めて、手の中の香をおそるおそる、エドワードに戻した。![]()
(終わり)
