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一ヶ月はあっという間のようでいて、一年くらいに長いような気もした。エドワードは鳴らない携帯電話をさっきから何度も見ては溜め息をつく。
あれから、ロイは全く姿を見せなくなった。
今までも仕事が忙しくて数週間いなくなることはあったけれど、意味もなく電話が来ていたりしたから特に不安に思ったことなど無かった。
「坊ちゃん、最近ロイの兄さん忙しいんですかい?」
空き瓶を運んでいたら、蔵人の一人にそう問いかけられる。考え事をしていたのを見抜かれたのかと一瞬ひやりとした。
「さあ、わかんねえ」
「あの人がこんなに長い間姿見せないのも初めてですよねえ、せっかく新酒が出来たのにな」
他の蔵人が俵を担いで歩きながら笑う。
外は天気がよく、今日はやっと無事に今年の酒が出荷できるめでたい日だというのに、一ヶ月前からエドワードの心は暗く沈んだままだ。
どうせ、すぐに何もなかったような顔をしてひょっこり酒蔵に来ると思ったのに。
エドワードのことなんか忘れてしまったかのように顔を出さないし、電話もかけてこない。携帯電話を一時間おきに見て、着信がないことに肩を落とすのももういい加減飽きた。
(ひょっとして、もう会わないつもりなんだろうか)
俺は別に、二度と顔を見せるなと言ったわけじゃないのに。
ロイは、もともと体温の低い男だった。手のひらに触れるといつもひんやり冷たくて、熱がある時には奴の手のひらはていのいい熱冷ましだった。
奴の手のひらを取って額に当てると気持ちよくて、でもそうするとあいつはいつも困ったように笑ってた。
ほんとに嫌なら手を離すだろうと思って、今まで気にもとめてなかったけど、実はとても嫌だったんだろうか。
そんな感じで、気がつかない間に俺はあいつに嫌がられるようなことをしてたんだろうか。だからとうとう嫌いになって会いに来ないとか。
「だー!」
思わず頭を掻きむしれば、周囲の蔵人達が、ぎょっと目を見開いた。
「ど、どうしたんですか坊ちゃん!」
「なんでもねえよ!」
ああ、なんか無性に腹が立つ。
結局俺は、あいつから納得のいく答えを聞かせて貰っていないじゃないか。
キスした理由は綺麗だったから。
――――――――――んなわけねーだろ、俺は男だぞ?!
ていよくはぐらかされたに決まってる。
嫌がらせなら嫌がらせと言って笑うのがあいつらしいのに、なんであんな神妙そうな顔してとぼとぼと立ち去っていったんだろう。
「杜氏! この新酒一本もらっていい?」
がっし、と目の前の瓶詰めされた一本を手に取る。水で部品を洗っていた杜氏は、おお、と頷いた。
「なんだ、ロイ坊のところに持っていくのか」
「うん。取りに来るかと思ったのに来やしねえからこっちから持っていく」
しかしそもそもあげる約束をしたわけでも金を払って貰ったわけでもないのだが、蔵人達も、いつものことなので暢気に笑うだけだ。
「おお、そうしなそうしな。どうせ坊ちゃんが余計なこと言ったんだろうロイ坊に。早く仲直りしてこい」
「――――――――――はあ?! 俺達喧嘩なんかしてねえぞ?!」
突然妙な励ましをされて思わず大声が出た。杜氏はにやにやと笑ってこちらを見ている。
「一ヶ月顔を見せないことが喧嘩じゃなきゃなんなんだ。いいからとっとと謝ってこい」
「ち、違……!」
「おーそうだよ坊ちゃん。酒持っていってごめん、って言ったら許してくれるってさ」
「そうそう、なんだかんだでロイの兄さんは坊ちゃんには甘いし」
「ちょっと! なんで俺があいつを怒らせたことになってんだよ!」
なんだなんだ?蔵人みんなして、さも当然の如く謝れ謝れと言ってくる。一ヶ月の間、ロイが来ないのはただの痴話喧嘩でしかも俺が悪いってずーっと思ってたのかみんな?!
「わかってるって。坊ちゃんは悪くない。な。だから早くロイ兄さんのところに行ってこい」
ぽんぽん、と同情的に肩を叩かれ宥められる。俺の言葉なんか全く誰も信用してない。コレが普段の猫かぶり量の差なのか。
「なんだよ!みんなして! 絶対俺悪くないんだからな!」
このままではキリがない。酒瓶を投げつけたくなる衝動を抑えるのが厳しくなってきたので、最後まで往生際悪く己の身の潔白を訴えると、その場を立ち去る。
頑張れよーと手を振ってくれる蔵人達は、誰一人として、その潔白を信用してくれてそうには見えなかったからますますむかついた。
この八つ当たりはあの男に取って貰うしかない。
意気揚揚と酒を持って突撃したのはいいが、よく考えたらあいつはまだ会社だった。
金持ちの癖に安アパートに住んでいる幼馴染みは、エドワードが物心ついたときから一人だ。
家族はいるらしいがどうやら外国に住んでいるらしい。ロイが高校生の時にはすでに一人暮らしだったから、着いていかないのかなと不思議に思ったが、当時は余計なことを言って、本当にどこかに行ってしまったら嫌だったので聞かなかった。
アパートの玄関前で扉の表札を睨みつけながら唸る。
どうしよう。
昔合い鍵を貰ったので入ろうと思えば入れるのだが、あんまり留守中に入り込みたくない。
そもそも昔は頼まれれば飯を作ってやったりしていた俺がどうしてそういうことをしなくなったかというと、たまに女とか女とか女に遭遇したからだ。
大人な男なので恋人がいてもいいとは思うのだが、だったら恋人に作ってもらえばいいだろう。
会社に行っているはずだから、と部屋に入ったら下着姿の女が寝ている事件が数回あってからというもの絶対てめえがいないときに家に入るもんかと鍵を突っ返した。
……が、受け取ってくれなかったのでいまだに持ってはいる。
「懲りた」とか「さすがに反省した」とか言い腐ってあれからたしかにこの家に女の気配は絶滅した。
もうあんなことはないから又来てくれと言ったが、信用ならんので、どうにもいまだに留守の時には立ち入らない。
扉に背中を預けて、ずるずると座り込んだ。
酒を抱え込んだままこんなところで帰りを待つよりは、伝言でも置いて帰ったほうがいい気もするけれど、なんだか伝言は無視されてしまいそうで。
空を見上げると、まだ月は幽かに見えるだけで、太陽の方が強い。
うっすらと赤く色づき始めた雲の色からいって、あと数時間は待たないといけないかもしれない。
「帰ってくるのかな」
実は出張だったりしたらどうしよう。何も聞いてなかった。
酒なんて口実だ。会って話がしたかっただけだ。なんであんなことしたのかとか、どうして顔を見せないんだとか、なんで俺はこんなにいらいらしてるのかなとか。
子供じゃないんだし、あの時のことにどんな意味があったかなんてさすがにわかる。
分かるけど、直接何も言わずに姿を見せなくなってしまったら、俺の勘違いなのかと思いそうで。
勘違いならしょうがないけど、それにしてもそれで、はっきり言って欲しい。
中途半端に放置されても、散々懐いてしまった後だ。捨てるにしても捨てると一言いってくれないと嫌だった。
……捨てる。
考えると胸が痛いから考えたくなんかないのに、あいつが何も言わないからこの一ヶ月考えすぎて心臓が疲労骨折しそう。
このままだと病気になってしまう。
友達に遊びに誘われても行く気分にならないし、模擬試験でいい成績をとっても嬉しくもなんともないし。
弟にまでどうしたのとか聞かれる始末。
「くっそー早く帰ってくりゃいいのに」
あんまり厚着をしてこなかったので、夜になると冷えて少し肌寒い。
一度家に上着を取りに帰ってもいいけれどその間に帰られたらと思うと動くに動けない。
小学生達が、目の前の道を笑いながら走っていく姿をぼんやりと眺めて、そういえば小学生の頃、よくおんぶしてもらったなと思い出す。あいつは高校生だったっけ? ひどく大人に見えたもんだった。
お兄ちゃんがいるみたいで、嬉しくて、小うるさいガキだったのに今思えばよくかまってくれたよなあいつ。
大好きだったんだけど。
いや、今も大好きみたいなんだけどさ。
……早く帰ってこないかな。
(終わり)
