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「待ってください、大総統」
後から切羽詰まった響きが聞こえる。
それが良く見知った人間の物だと知っていたが、ロイは足を止めなかった。
もともとこうして無視して歩いたところで、捕まえられるであろう事は分かっている。
「大総統!」
ばっと、右腕を掴まれ、不敬罪だ、と一瞬口に上りそうになったが、諦めて振り返った。
「アームストロング准将、止めても無駄だ」
「ですが!」
豪腕の錬金術師は、声すらも豪腕だ。
こんないかつい身体に優しすぎる心。彼がいるなら、アメストリスは潰れない。
「あなた以外に誰がこの国を治められるというのですか!せっかくホムンクルス達の件も終わって立ち直ってきたのに、貴方が消えたらまた振り出しです」
「そんなことはない」
首を振る。もう、ホークアイ達は納得してくれた。
「…キング・ブラッドレイ、ロイマスタング、それに続くカリスマ性のある大総統なんて、いません。また混乱の歴史が始まるだけです。…どうか」
男はロイから手を離すと、黙ってお辞儀をした。
帰ってきてください、と。
ロイは首を振る。
「…五年、待った。五年だ。大総統になってから五年間の間に、アメストリスは私がいなくても平気なぐらいにまでは治安を回復したと思っている。それなりの仕掛けはしてきたし、工作もしている。准将が思うほど、この国は弱くはないよ」
「だからこそ、これからではないですか。どうして、大総統をやめる必要が!」
「…准将、私は錬金術師だ」
「それが?」
今や三十代も後半にさしかかろうかという男は、未だに精力的な面構えで、20代のような若々しさを保っている。そんな男は、退廃的に笑ったのだ。
この国の頂点まで上り詰めた男が。
「政治ゲームより、研究をしたい。死ぬまで、…死んでも、研究をしたいんだよ。君も錬金術師なら分かるだろう」
「大総統…」
「私の仕事は、ここにはもうない。これから、この国を作るのは人間だからだ」
ごくりとアームストロングは息を呑む。
何人たりとも、立ちふさがる者は焼き捨てると断言する。そんな男の姿に、この数年みなが着いていった。終末も、地獄も。とうにみたのだと男は語った。
――――――――――駄目だ。
アームストロングは絶望する。
これは、覆らない。この男は、何をしようとももう自分達の元には帰ってこない。
するべきことは、終わったと男の瞳が語っている。
「…どうなさるのですか」
これから一人で。
副官達も連れず、家族もいないこの男は、一人でただ研究をし続けるのか。
「多分、人ではないものになるだろうな」
微笑む男は、本当に、仕方ないな、と自嘲するように優しい笑みを見せ。
そのまま、アームストロングの前から消えた。
(終わり)
