黒の祭壇

黒の祭壇

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  目の前で、肉が焼けるいい匂いがする。
  テーブルにこてん、と頭を載せて料理をする大佐の後ろ姿をぼんやりと見ていると、なんだか不思議な感じがした。
  何度も一緒に食事をしたし、こいつが料理をしてくれたのは初めてじゃないけれど、こんな夜中にわざわざ起きてきたことはなかった気がする。
  滅多に会えないからという理由で気絶しそうになるまで貪られたあげく、目が覚めれば朝で、ほどよくぬるい珈琲を差し出されて目が覚めたりとか、夜中に一人で台所でもぐもぐとパンを食べた後もう一度歯を磨いて寝ている大佐の隣に潜り込んだりとか。
  そんな生活は嫌いじゃない。けっこう好きだと思う。
  ただ夜中に一人で台所でがっつくのはちょっと恥ずかしかったから秘密にしていたっていうのに。
  まさか作ってくれるとは思ってなかった。
  そして、そんな些細なことで、どうして俺、こんなに胸がじんわりと暖かいんだろう。
「できたぞ」
  振り返った男がエドワードの目の前に置いた皿には、こんがりと焼いた食パンにかりかりのベーコンとレタスを挟んだサンドイッチが載っていた。
  ほかほかと上がる湯気は中に挟まれた卵とベーコンのものに違いない。エドワードは両手を机の端に載せると、そのどことなく歪な形のサンドイッチをまじまじと眺めた。
「……豪快だな」
  炒った卵がパンの隙間から零れてぼとんと皿に落ちる。いかにも料理に慣れてませんと全身で表現しているサンドイッチが少し可哀相で、形を整えてやりたくなる。
「料理は見た目じゃない」
「じゃあなんだよ」
「愛情に決まってるだろう!」
  ふんぞり返ってそう主張する大佐は、さあ食え、とエドワードに皿を差し出し、自分は向かいに座った。
  そのまま頬杖を着いて動向を観察し始める闇夜に映える漆黒の瞳に、エドワードは何の文句も言えなくなってしまった。
  お腹が空いているのは事実で、作ってくれたのが嬉しかったりもするもんだから、おそるおそる手を出してぱくり、と口に入れた。
「……あ、うまい」
「そうか」
  形は悪いが、暖かいせいか食材がいいせいか思ったより美味しかった。ちょっと炒め方が足りない気がする卵もレタスに掛かればまあ悪くはない。
「ほらみろ、やっぱり愛情だろう」
「……」
  にこにこと机の向かいで満面の笑みを浮かべて人の食事を観察している男の顔が何故が見れなくて、エドワードは俯くようにしてパンを食む。
  もぐもぐと咀嚼する度に動くほっぺがかわいいなあ、とロイが思っていることなどエドワードが知るはずもないのだが、愛おしそうに見つめられている視線だけはなぜか感じて、顔が上げられない。
(……な、なんでこんなに恥ずかしいんだよ!)
  早く食べてしまえと思うのに、胸が詰まってついつい噛む回数が増えてしまう。俯いたせいで大佐には分からないのが幸いだがこのままではばれるのも時間の問題。
  目の前でじぃ、と人の身体を絡め取るように見ている男が、さっきまで人の肌に余すところなく触れて人を散々鳴かせてくれていたのだと思い出したら、熱はますます籠もった。
(うわ、まず……)
  頭の中に浮かぶのは、数時間前までの己の痴態とか、壮絶な色香を纏わせて人の身体の上で微笑んでいた男の体躯とか。
  恥ずかしいけど嬉しくて、いつまで経っても慣れることのないあの時間。夜、家に来たら何をされるかなんてうすうす分かっているくせに訪れる自分のことを、大佐はどう思っているのだろう。
「鋼のー」
「なんだよ」
  そんなことを考えている間に、パンはあと一欠片になってしまった。
  どうしよう、これを食べ終えたら顔を上げないとまずい。ぽい、と口に放り込んでそのまま席を立ってしまえば。
「一口」
「え」
  思考を沈み込ませているエドワードの手首が掴まれる。反射的に顔をあげた。男の手はエドワードの手をぐい、と手前に引くと、そのまま残った最後のサンドイッチの欠片をぱくり、とエドワードの指ごと食べた。
「………………!」
  男の舌が指に触れる。軽く指先を舐められて背中が硬直した。さっきまで火照っていた身体は、簡単に数時間前を思い出す。灰と化す寸前だった情欲の火種が、ちりちりと焦げ始めるのが分かった。
「ああ、たしかにけっこう上手く出来たな」
「……っ!」
  最後にぺろりと爪の間を舐め、撫でながら離れていく大佐の舌。
  なんとか声を上げるのを耐えきったものの、一度だけ唾を飲み込むのは止められなかった。
  ま ず……!
  これ以上は、絶対にばれる。ばれるったらばれる。にやにやと笑いながら、どうしたんだね、鋼の、なんだか苦しそうだな、とか分かってるくせに言ってその後は人を良いようにするに決まってる。
  数ヶ月前、そんな状態になった時には翌日声が出なかった。
  こいつはなぜか、エドワードがその気になると、子供のように喜び、薄皮を剥ぐように人の身体を堪能し尽くす癖がある。
  顔を見てはダメだ。正面からこいつの顔を見たら気づかれる。なんでもないことのように手を離して、ごちそうさま、とか言って寝室にUターンしてしまうのがおそらく最善手。
「ごちそうさまでした! 寝る」
「ああ。私はこの皿を洗ってから上がろう」
  ぷい、と顔を背けたまま立ち上がって背中を向けるエドワードの背中に聞こえてきたのは、ロイのそんな飄々とした声。
  蛇口から水が流れる音がして、エドワードは見えないようにほっと胸を撫で下ろす。
  よかった、どうやら気づかなかったらしい。
  このままベッドで毛布を頭から被れば、入り乱れてきた感覚をどうにかやりすごしてしまえるだろう、きっと。
  背後で流れる水の音のおかげで、脳髄が少し冷えてきた。
  安心して一歩を踏み出したエドワードの背中に
「お腹いっぱいになったなら、まだ大丈夫だね?」
  ……なんて、声が掛かるまでは。
  
  
  
  ずるい、卑怯、詐欺、変態。とか散々な罵詈雑言を浴びせられたが、五月蠅いなあと唇を塞げば、緩んだ唇はロイの舌を感受したし、後ろから貫いたって身を捩りはしたが、その口からは嬌声しか出なかった。ぽろぽろと零れる涙は甘く透明で、舐め取っても絶えることはなく、頬を朱に染めてロイを睨む瞳の金色は霞んで太陽を浴びた霧のようだった。 隣で昏々と眠るエドワードの瞼の下は少し赤くて、泣かせすぎたかなと指で擦ってみたら、んん、と嫌がって眉が寄る。
  そのくせ擦り寄って来るこの無意識の可愛さはどうだろうね、全く。
  ベッドで頬杖を着いて眠るエドワードを観察しながら、ロイはさっきまで自分の下でさらさらと流れていた金色の髪を手にとって弄ぶ。
  今まで、ロイに言わずにこっそり夜中に一人パンをかじっていたのは、ひょっとしてこうなることを本能的に悟っていたからなんだろうか。
  さっきまで欲望のまま蹂躙していたくせに、胸が熱くぼやけるのはどうしてだろう。この子と一緒に暮らせたら――毎日こんなに幸せを連れてきてくれるんだろうか。
  惚れた弱みとは恐ろしい。恋に落ちた瞬間に、幸福はきわめて安い物に成り下がる。
  そう、こうして一緒のベッドで寝ていたり、人が作った歪なサンドイッチをはむはむと頬張るあどけない仕草にだったり。
  これからは、毎回夜中に食事を作ってやろうかな、なんて考える。彼は嫌がって首を振るだろうか。
  でも、おそらくはそれすらも幸福で――
  こんなに簡単に手に入るくせに値段がつけられない。
  これではどんな代価を払えばいいのかわからない。
「私は君に、何を払えばいいのかね……?」
  側にいて、こうして自分に抱きしめられて眠ってくれる代価を自分が払えるとは思えない。
  今度聞いてみようかなと思いながら目を閉じる。意識を失う瞬間まで考えても、やはり答えは出なかった。

(終わり)