六花
白銀の世界の中に、その墓石は完全に埋もれていた。
「……こんな時期になるとはな」
静寂の空気の中で、しんしんと、音のない雪だけが積もり続ける。
白い雪と月の照り返しで、墓地は街灯もないのにそこそこ明るい。
散っていく花のように、白の結晶は墓石から名前を隠そうとする。
まるで、その人は死んでいないのだと教えるように。
彼が死んだのは、こんな寒い季節ではなかった。
雪など降っていなかった。
彼の死んだ場所より、今は遠くに住んでいる自分には、この時期しか来ることが出来なくなってしまった。
親友の命日に、墓にも来れないなんて、薄情すぎる。
ぼんやりと佇んで、過ぎた時間を惜しんだ。
太陽は、ない。
この世には今、月しか存在しない。そして、太陽のこどもも、いない。
地面の下の幾万の死者と、その中に一人立つ生者。
それを分けたのは多分、運だけだろう。
しゃがんで、墓石の雪を払うと、見慣れた名前が出てきて苦笑した。
奴はもう死んだのだと、残ったものに教えるために墓石に名前を刻むのだ。
愚かな期待など、するなと伝えるこれは警告の文字。
墓の灰色が見えないとなんだか妙なことを考えそうになるので、裸の手で墓石の上の雪を全て払った。
冷たい雪と、温度のない石がロイの手から熱を奪う。
……そのくらいで、丁度いい。
焔を携える己には、このくらい冷えた方がきっと。
雪白の中、ぽつんと男の墓石だけが浮かび上がる。
「もう、何年も経ったのにな」
未だに、時折考える。どうしたら親友を錬成できるのかと。
考えるだけ。思考の手慰みだ。
でも、錬成陣を裏紙に書いて、形見の遺髪の入った瓶を右手で弄んで、それでも手慰みだと本当に言えるのか。
――――そして。
それを押しとどめるのは、月の世界の暴走を止めるのはいつでも太陽が昇るからだ。
紙に書いてしまった錬成陣を、破り捨てることが出来るのは、同時に太陽の子供が脳裏に浮かぶからだ。
月の出番は終わり。
明けない夜などない。
花束を、墓石の上に置く。
さきほど払った雪はすでにしつこく積もり初めて、ロイの努力を無駄にした。
じきに、この花束ごと純白に染めるだろう。
まだ手はじんじんと冷たい。
あれだけの雪を手で触ったのだから当然だ。
手袋を持ってこなかったことに今気がついた。
それでも掌に残っている雪を払いながら墓地の入り口まで歩く。
すでに服の上の雪が凍り付き始めているところを見ると、思ったより温度は低いようだ。
雪の上を歩くと、さくさくという音ではなく氷混じりのじゃりじゃりした音になってきた。
積もるだけではなく、凍ったらまずいなと息を吐くがそれも当然白い。
天空を見上げれば、真っ黒な夜から、白い粉が降り注いでいる。
太陽なんか、永遠にのぼらないように見えるのに。
ふう、と溜息をついて視線を前に向けたら、白と黒の世界の中に、ぽつんと小さい赤い花が咲いていた。
「……よう」
埋もれそうなほど、雪を積もらせて、赤いコートのこどもが墓地の入り口の柵にもたれ掛かっている。
「……鋼の」
白い視界の中で、金と赤の花が微かに佇む光景は、無駄に綺麗で。
思わず、その赤に憑かれた。
どれだけ白を纏っても、明瞭な黄金は消えない。赤は焔で、金は太陽。
やっぱり、太陽はこの世界に落ちてきた瞬間に、もう月を反転させるのだ。
動けず見惚れているロイのところまで、雪を踏みならしてやってきた子供は、そのまま赤くなったロイの
手を取った。
「冷たい」
「……あ、ああ」
素手で雪を触ったからな、と答える。
情けないことに、忘我していて、手を握られるまでエドが近寄ってきたことに気がつかなかった。
きゅう、と握られた手は彼の生身の左手。
……あたたかい。
今のロイからはうつむく彼のつむじと、白い息しか見えない。
なんとか暖めようとしたのか、右手を出したエドが、は、と気がついたようにその鋼の指をじっと見ていた。
(……あ)
気になんか、しない。
鋼の腕が冷たくても、その両手でロイの掌を包み込んでくれたら、気持ちはすぐに温かくなるのだ。
「はが……」
それを伝えようとする前に、冷えた手はぴたりと彼の頬に当てられた。
「これならいいか」
顔を上げて微笑まれたが、ロイにしてみれば、彼の熱を奪っているようでなんだかいたたまれなくなる。
左の頬にロイの手を当て、その甲を生身の手の平で包んで、子供はしばらく目を閉じてじっとしていた。
その間、ロイはどんどんと彼の身体から熱を奪っていって、代わりに右手は人肌に戻る。
ほんとうは、その手をひけばよいのだ。
そうしたら、これ以上彼から熱を奪わないですむのに、できなかった。
こんな、あどけなくて暖かい彼の優しさを無下にすることは、エドの肌から熱を奪うことよりも罪悪な気がしたのだ。
雪が、ぽつぽつとそんなエドの掌にも落ちるけれど、すぐにそれは消えて溶ける。
あまりにも静かで、ロイは何も言えなかった。
ありがとうも、冷たくないか、もなにも。
ただ、胸が詰まって。
無性にたまらなくなる。
目の前で彫像のように動かない綺麗な存在が、生きてロイの側にいるということが、尊い奇跡みたいに思えた。
暫くして、その瞼があがった時には、もう雪の名残など、ロイの右手からは消失していた。
「……鋼の、どうして」
中央に来てるなんて、聞いてなかったのに。
今更の問いに彼は答えず、今度は暖まっていないロイの左手を手に取る。
「あんたがここに行ってるらしいって聞いたから」
ロイの方は見上げず、冷たい左手を握って考え込んでいるエドワード。
「そうではなくて」
どうして、来たんだと聞く前に、ロイは左手を引っ張られた。
ぼす、という音とともによろけそうになる。
「これなら暖かい」
なんだかいたずらを考えついたみたいに笑った子供は、自分のコートのポケットにロイの左手を突っ込んで満足そうに 笑っている。
握りこまれた手と、コートの布の感触が、零度を消し去った。
まだ、この太陽は産まれたばかりなので。
どうも無邪気で、時々抜けている。
「鋼の、これでは歩けない」
「それは暗に身長差があるって言いたいのかよ」
むー、と頬を膨らます姿が可愛くて笑った。
「手を繋いでくれればいいよ」
ほら、と冷えた左手を差し出せば、一瞬つまった子供は躊躇った。
それもそのはず、ロイの左手と繋がれるのは、己の冷たい右手なのだ。
そんなことは気にならない。手を引く逃げ腰のエドワードの右手を勝手に掴んだ。
「大佐……!」
「なんだね」
踏みしめる雪、その音が軽いなと思った。
「手、離せよ」
「なんで。寒いじゃないか」
「だって……」
「いいんだ。こちらのほうが暖かい」
「……へんなの」
少し小走りでついてくるエドは、そう言いながらも細い指先に力を込めてロイの手を掴むので、ついつい頬が緩む。
産まれたばかりでもやっぱり太陽だ。
あっという間に、月を消してしまった。
この子が居る限り、多分ロイは何度でも書いた錬成陣を破る事が出来るだろう。
ふと、墓地の方を振り返る。
二つだった足跡は、途中から四つに増えていて。
六花がそれを消していくのが、少しだけ惜しいと思った。
元は、終戦記念日(夏)にふと思い立って友達に送ったメールだったようです。どうも土地柄8/6の方が忘れられない日ではあるんですけれども。拍手上げた後に、「終戦記念日に私に送ってきた奴がベースだね」みたいなこと言われて驚き。書いたことすら忘れてた…。
なんとなく、こんな感じの話を書いてみたくなったのでした。冬だし雪だし。黙って大佐の側にいて何も言わずに慰めるエドという構図が好きらしいですよ。六花は雪の別名。樹枝状六花結晶というのが雪の一番オーソドックスな結晶です。珍しく拍手らしく短く収まったよワーイ。
(終わり)
