黒の祭壇

黒の祭壇

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 制限速度を大幅に超えた速度で車を飛ばす。警察に止められたら超法規的措置と権力で振り切るつもりだった。
 駅に最も近い信号は赤で、あと数秒で青に変わるはずだ。いらいらと点滅する歩行者信号を見守る。
『エドワード君は、今日の夕方四時の汽車で発つそうですよ』
 ホークアイの言ってくれた時間まで、あと二十分しかない。
 そろそろ駅にいるだろう。
 信号が青になった瞬間にアクセルを踏んで加速する。駅まではほんの数百メートル。走った方が早かったかもしれない。
 車を駐車場に無理矢理突っ込む。慌てて車から降りて周囲を見渡すと………いた。
 幸いなことに、まだ駅舎には入っていないようで、売店の側のベンチでもぐもぐとハンバーガーを頬張っていた。
 隣では食事を必要としない弟が鳩に餌をやっている。
 うららかな日の光の下、見目麗しい少年と隣の穏やかな鎧が並んで座っているのはどこか和む風景ではあったが。
 だがかまってられない、とベンチに向かって走った。
 
 
 
「アルフォンス、悪いがお兄さんを借りる」
「え?」
「ふぇ?ふぁんで大佐が」
 雰囲気をぶち壊す勢いで近寄り、鳩に懐かれているアルフォンスにそう断言する。借りていいかではない。許可を得られなくても攫っていくつもりだったので、これは宣言だ。
 びっくり眼のエドワードがハンバーガーを喉に詰め込みながらロイとアルフォンスを交互に見やる。
 狼狽えている間にさっさと脇の下に手を当てると、ひょい、と肩に背負った。
「ぎゃー!なにすんだよ大佐!」
「ああ、アルフォンス、汽車は指定席かね」
「いや、違いますけど…」
 じたばたと暴れる肩の上の物体は無視して、くるっぽーくるっぽーと鳴く鳩を膝に載せたアルフォンスに聞けば、あっけにとられたままのアルフォンスは茫然と答えを返してくれる。
「では、特に問題はないな。悪いが四時の汽車には乗れないから、適当に時間を潰してくれたまえ。後でお兄さんは必ず帰すから」
「!返すってなんだよてめえ!俺は物じゃねぇ!」
 聞いていたらしい子供の抵抗が激しくなって、ロイは少々背中が痛い。
 ここで愛の告白をしないだけ、彼のことを考えているのだが、そのロイの深慮はどうも伝わっていないようだ。
(まあいいか)
 エドワードが小さい子供で良かった。
 これがでかいファルマンあたりなら、さすがに暴れたら少々面倒だ。
 エドワードが冷静になる前に、どこかに連れ込まないと、とロイはさっさとその場を離れた。
 一人の子供を抱えたまま。
 
 
 
 落ち着ける場所を探すなら、ホテルの部屋でも取ればいいのだが、あまり時間をおくと子供が頭を回転させ始める。
 冷静さを失っている間に、ロイがやることはこの小うるさい口を塞ぐことだった。
 路地裏に連れ込むと、暴れる子供を降ろして、まずは口に手をあてて塞ぐ。
「んー!」
「悪いが、黙っていてくれないかね」
 突然空気の通り道を塞がれてじたばたと抵抗中の子供は、ロイの腕を掴んで口に当てられた手を引きはがそうとするが、片手はしっかりとエドワードの肩を押さえて逃走を拒んでいる。
 このシーンだけ誰かに目撃されたら、ロイは絶対誘拐犯だ。
 ホークアイに話を聞いた後、時間がなかったためすぐに車に飛び乗った。よって彼の催眠はまだ続いている。ここで無能、と叫ばれたら終わりだ。
 幸いパニック状態の子供はまだそこまで頭が廻っていない。気を取り直す前にロイがするべきことは、彼の口を黙らせること。
「中尉に聞いたよ。…………すまない」
「!」
 びく、と一瞬震えた身体が止まる。抵抗は即座に止んだ。
 それどころか、困惑の瞳がロイを見上げる。少し赤くなった顔に、思わず笑みが漏れた。
 先程までの焦燥と怒りが嘘のようだ。
 忘れていた。この子は素直じゃなくて、でも優しくて、そしてそれを自覚一つしてない愚かで可愛い子供だったと言うこと。
 だから好きになったのに。
「おかげでよく眠れた。たしかにあんな事でもなければ、私はゆっくり眠りはしなかっただろうな」

『睡眠不足なのに、ろくに眠りもしないで働くだろ?あのままじゃ』

 そう言っていたと、中尉に聞いた。
 聞く前に嫌われているからかもしれないと思いこんで、反論させなかったのは自分だ。
 ……でも、エドワードのことだから素直に語ってくれたとは思えない。あのまま会話を続けてもきっと「あんたの顔なんてみたくないし」とか平気で嘘をついただろう。
「気持ちは嬉しいが、もうやめてくれないか。君に会えない方が、私には辛いんだ」
「………」
 掌の下で、エドワードの唇が開いた感触がした。何かを言いつのろうとして、声を出せないことに気がついたのか、静かに睫毛が伏せられる。
 その仕草があまりにスローで、風をはらんで落ちる紅葉を見ている時のような心境になる。
 そっと額に口づけたのは、光に誘われる蛾と一緒。
 得体の知れない吸引力。本能的に逆らっても身体が勝手に動き出す。
 口に当てた手を離して、そのまま引き寄せて抱きしめた。
「………、わ…!」
 せっかく呼吸を許されても、人の胸に押しつけられてまたもや正確な発音を奪われた彼は先程から驚愕の連続で混乱が極みに達しているらしい。ロイにとっては幸いだった。
 なんでこんなに小さくて、すっぽり収まってしまうほどなのに、影響力は最大なのか。
 たしかにいつも徹夜明けだった。
 エドワードに眠らされたせいで、その後の仕事は調子よく、冴えた頭でさっさと進んだ。今回も会えなかった、という心の隅の悲劇はともかくも、業務的な部分で言えば助かっていたのは事実。
 エドワードとの逢瀬は数時間の睡眠より重要だった。でもその優先度が分かるのはロイだけの話だ。彼には分かろうはずもない。
 いつもよろよろで寝不足なロイのことを、彼が気遣ってそんなことをするとは、一度も「大丈夫か」と声を掛けられたこともなかったこの身では、想像もしていなかったのだ。
 素直じゃない事は、知っているつもりでいたのに、想像よりも上手だった。
 でも、想像以上のことをしでかすから、ロイはどんどんこの子が好きになるのだろう。「鋼の、これはずっと、言うつもりはなかったんだが」
 抵抗を諦めたのか、抱きしめられたままになっている子供が不思議そうに見上げた。朱を帯びた目元を見ても、膨れあがる想いを押し殺すのが今までの日常だった。
 ――――――でも、もう。
 無理だな、と心のどこかで白旗が揚がった。



(終わり)