17(連載中)
「ほら、エド。マスタング大佐が載ってるわよ」
洗濯物を干しているエドワードのところにカスミ姉さんが新聞紙を持ってきた。
タオルをびんと延ばした後、新聞を受け取る。
うららかな陽気の中、洗濯物を干すなんてのどかな光景なのに、見ている記事は戦争の記事だ。
「あいつまだ戦場にいるんだ……」
もう二年も経つのに。
戦場に行ったロイからは手紙の一通届くことはなかった。
こちらも手紙は出していない。
こんな孤児からの手紙が届くかどうかもわからなかったし届いたところで迷惑かもしれないと思ったからだ。
月に一度新聞には今月の戦死者が載る。それに載っているどうかを確認するのが一番恐ろしくて嫌な作業だった。
でも今月も彼の名前はない。
ほっと胸を撫で下ろして洗濯を再開する。
そよそよと心地よい風が髪を揺らして、ふとエドワードは同じ空の向こうにいる男のことを思った。
あの男が自分に叩き込んだ知識が今どれだけ役に立っているかを、あいつがいなくなってから知った。
側にいなくても生きているのが分かれば、不思議と寂しくない。
もともとあいつの気まぐれで付き合ってくれていただけだ。いつまでもそんな状態が続くなんて思っていなかったから。
店は数年の間にゆるやかに世代交代している。客に貰われていったお姉さんもいるし、故郷に帰った人もいる。
新しい女性も入って来て常連の男性も増えたり減ったり。
エドワードはあまり表に出ることが無くなった。
少しだけ身長も延びて、少年としての手足が細く長くなりだしたころに、ピナコばっちゃんが経理方に廻ってくれといったせいだ。
あまり客の前に出ちゃだめだよあんたくらいの男の子が楼閣にいたら客はいい気がしないもんさ。と言われたので、それもそうかなと思っている。
お店を出てもいいといわれたけれど出る気はなかった。
小さい頃この店が助けてくれなければ、自分達は死んでいたのだ。
男手はいくらあっても困らないし、少しでも力になれるならこの店で恩返しがしたかった。
「エド」
かけられた声に振り返る。そこには小柄ながら力強い楼主で有り続けるピナコばっちゃんが、杖を支えにして立っていた。
「ばっちゃん、起きてて平気なのか?」
寄る年波には勝てず座っていることが増えたばっちゃんのことは、最近この店での一番の心配事になっている。
「バカにするんじゃないよ。ちょっと疲れただけだ」
言って、縁側に腰を下ろすばっちゃんの姿は少し弱々しく、本当に平気なのか不安でしょうがない。
洗濯物の籠を抱えたまま、隣に座ると、ばっちゃんは空を見上げながら、はっきりした声で言った。
「エド。あんたアルと一緒にこの店を出な」
「え……?」
どきりと嫌な予感で胸が鳴る。
今まで何度も繰り返したやりとりだが、今日のはばっちゃんの真剣さが違うと、さしものエドワードにも理解できたせいだ。
「なに言ってんだよばっちゃん。俺ここで働くって言っただろ」
「駄目だね。もう限界だ。エド、あんたが小さかった頃はそれでもよかった。でもこれ以上はまずいんだよ。妙齢の女の子に混じって、あんたみたいな男の子がいちゃあ客も誤解する」
「誤解……」
「表に出さなきゃいいと思ってたが、話はそう簡単にはいかないみたいだ。金はやるからこの店から出なさい。次の仕事は用意してある。相手にも話はつけたから。あそこなら勉強しながら仕事にもなるし、エドにとっても悪い話じゃない」
「悪い話じゃねえかよ! ばっちゃん、俺まだなんも恩返ししてないのに、そんなの」
「あんたの話は聞かないよ。一週間後には出て行って貰うからね。仕事はもうしなくてもいい。嫌と言っても追い出すから荷物まとめときな」
「なんでだよ」
「エド、もう迷惑なんだよ」
「迷惑って、そんなの」
「迷惑なんだ。いて貰っちゃ困る。商売の妨げになるんだよ、小さい時からここまで衣食住与えてやったんだからもう満足だろ、いい加減出て行きなさい」
「ばっちゃん……」
「いいね。一週間後だ。何も用意してなかったら着の身着のままでも放り出すからね」
エドワードの言葉は、ことごとく遮られ、ピナコはもう決めたことだ、と繰り返すばかりだった。
すとん、と縁側から降りると、ピナコばっちゃんはエドワードを残してすたすたと立ち去っていく。その背中からは揺るぎない決意と拒絶が見えて、エドワードは黙って見送る以外に方法がなくなってしまった。
……あいつと、一緒だ。
こうと決めたら、どんなに頼んでも離れていく。
……いや、今回の場合は俺が放り出されるのか。
『迷惑なんだよ』
優しかったばあちゃんの冷徹な台詞は、今まで投げつけられたどんな言葉よりも耐えた。
信じた人に裏切られ続けていたはずなのに、この楼閣に来てからはそんなことはなくなっていたから、すっかり忘れ去っていたみたいで。
「迷惑だから出て行け、か……」
それでも、ばっちゃん。そんな言葉信じられるわけがないだろ。
だって、俺達がここに飛び込んできた時の方が、よっぽど迷惑だった。その時になんの役にも立たない俺達を拾ってくれた彼女が、こんな事で迷惑だからと追い出すわけ、ないのだ。
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(終わり)
