黒の祭壇

黒の祭壇

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50(連載中)

 レイブンはよく寝る。
 年寄りだからかもしれないが、布団に潜り込んでから一時間もしないうちにまた高いびきを立てていた。
 まあ、こちらとしては、楽で助かるが。

 レイブンの鼾を嫌なBGMにしながら、エドワードは勝手にレイブンの鞄の中を漁る。
 とはいえ、金を盗んだりはしていない。たまに重要書類が無造作に突っ込んであったりするので、勝手に読ませて貰っているだけだ。
「へえ、マキネン少将、異動なんだ」
 人事異動の紙を見つけ、目を通す。そこには、今回のドラクマ戦での功績により、昇格、もしくは退役、降格などの処分があった人間の一覧がずらずらと並んでいた。
 こんな重要書類を手持ちの鞄に突っ込んでくるとは。スリにでもあったらどうするんだろう。
「……あいつの名前は、ないか」
 全人事情報ではないのか、ロイ・マスタングの名前はなかった。失望の溜め息を吐いて、鞄に書類を戻す。
 鞄の蓋を閉め、元の場所に置き、布団に視線を向けると、大きな口を開けたレイブンはさっきと同じ姿勢で寝ていた。

 ……いつも、この男を見る度に思うのだ。
 軍人もいろいろいるな、と。
 商売柄沢山の軍人を見てきたが、不思議と、役職が偉くなるにつれ、その人からは、殺気や威圧が消える。
 このレイブンのように、将軍まで上り詰めてしまうと、三人に二人は愚鈍なでぶっちょに変身する。
 たまに、一人二人、のし上がる速度とともにカリスマを蓄えていくような奴もいるが。
「……」
 頭に当然のように浮かんだ黒髪の男の残像が恥ずかしく、エドワードは頬に手を当てた。
 おそらく真っ赤になっているんだろう。頬が熱い。
 恥ずかしい……
 いつまで経ってもこの調子だ。
「う……」
 布団の方からうめき声がして、はっと我に返る。
 ほてってきた頬を、ぱんぱんと叩いて冷ますと、布団ににじり寄った。
 レイブンの瞳がゆっくりと上がる。
「目が覚めたかよ」
 敬語を使うのも忘れて声を掛けてしまうが、レイブンは気にもならなかったようで、頭に手を当てながら半身を起こした。
「ああ……よく寝た」
「延長料金ください」
「そんな時間か」
 時計を探していたので、壁際の時計を手にとって見せつける。
 レイブンはその時計の針を見て、溜息をついた。
「ああ……いかんな。ここにいると、時間が経つのが早い」
「……」

 そりゃそうだろうと思うが口には出さない。聞こえなかった振りをして、お茶を入れる。これで他のお姉ちゃんたちならうまい台詞でもいうんだろうが、残念なことに、俺にはうまい言葉が浮かばない。
 レイブンは差し出されたお茶を、いつものように手に取りかけて、少し動きを止めた。
「? お茶」
 喉が渇いているだろうと、お茶を出してやったのに、いつもなら一気に受け取りがばがばと飲み干すレイブンが、今日は少し変だった。
 軽く俯き、唇を噛みしめている。妙な決意のようなものをその態度から感じ、エドワードは首を傾げた。
「お茶いらないんですか?」
「……いる。いるが、話がある」
 そう言い、レイブンは口元の涎を手で拭いながら、エドワードの差し出したお茶を、エドワードの手ごと受け止めた。手首を握られ、湯飲みの中のお茶が飛び散る。水滴が肌に当たって、ちょっと熱かった。
 なんだこいつ、意味が分からない。
 ずい、とそのままにじりよってくるむさいおっさんに、思わず腰が引ける。

「実は軍を辞めることになった」
「へえ。おめでとうございます」
 すごい棒読みで反射的に答える。
 内心の歓喜を声に出すまいとこれでも必死だ。

 退役!
 退役=年金生活!

 エドワードの頭の中で天使が踊る。
 つまり、このおっさんは権力もなくなり、給料もなくなり、隠退生活になるということだ。
 よって、ここに来る金はなくなるだろう。なにせ俺は一晩数百万センズ。退役軍人に払える金ではない。
 ブラボー老いって素晴らしいぜ!
 小躍りしたい気持ちを抑え、早々に追い出そうと手を引っ張るが、レイブンの力は緩まない。
「あの」
 もう時間も終わりだし、話とやらも聞いたし、さっさと出て行って欲しいのだが。
 思いっきり眉を顰めた俺の顔を見て、そんなことは気付いているはずなのに、レイブンはいつもは下がっているはずの眉毛をあげている。
 鼻息を牛みたいに荒くして、レイブンはエドワードを引き寄せる。

「だからな、おまえを身請けすることにした」
「――へ?」
 

(終わり)