35(連載中)
「君、ここの費用は何ですか。毎月発生していますが」
「……それは、積立金。病気とかが発生したときに使います」
「ならこれはなんです? ここの金の必要性がわかりませんね」
「それは……」
やりにくい男――キンブリーはさっそくエドワードの部屋にある帳簿を片っ端から捲り始めると、しつこいくらいに金の動きを聞いてきた。
余計な置き土産をくれたハクロに心の中で石を投げながら、しぶしぶと一つづつ答えていく。
本当に嫌なことに、ハクロは人を見る目があったのかどうか知らないが、キンブリーは有能だった。有能な上に細かい。なにかにつけねちねちねちねちと重箱の隅をつつくように費用の理由を聞いてくる。
なんなんだおまえは。税務署か。
たしかに、ハクロのいうように一人でばたばたと動き回り、全てをすることが減ったとはいえ、代わりに精神的疲労で倒れそうだった。
そして、なによりエドワードが嫌なのが、キンブリーの全身から漂う、張り詰めた気配。
今のところはにこにこと笑っているように見えるが、目が全く笑ってない。エドワードの本能的センサーが、こいつは危険だと訴えてくる。
奴の近くだと十度ほど温度が下がるような感覚にとらわれ、同じ部屋で何も喋らずに働くのは、正直胃が痛くなる。
そして、一番恐ろしいのが、……エドワードは、ハクロに内緒で帳簿をもう一個つけているということだ。
今まで馬鹿なハクロ相手だったので、手玉に取るのは簡単だった。
裏帳簿の存在は俺しかしらない。普通に経営していたら吸われ続けていくハクロの遊興費は膨れあがるばかりで、かつ従業員への還元を全くする気がないとなれば、そうでもしないと経営は成り立たない。
店のお姉ちゃん達は慈善事業ではないのだ。いろいろ理由があってこの店に来たとはいえ、放置しておけば他の店に行ってしまうかもしれない。
彼女たちは愛着のあるこの店にとどまりたいと言ってくれるけど、労働に見合う対価が支払われなくなるくらいなら、他のお店に移動した方がいい。この店への愛情につけこんで、奴隷のように働かせたくなんてなかった。
キンブリーになにがばれるか分からないと思うと、エドワードに気の休まる暇などない。
今まではハクロはたまにふらりとやってくるだけだったし、あいつは金にしか興味がなかった。だがキンブリーはまじめに昼頃やってきて、朝方お店が閉まる頃に帰って行く。
その間中、まるで監視されるように見つめられ、ちょいちょいと適当に誤魔化していた帳簿を追求されるのだ。
またキンブリーはある程度社交的ではあったので、お店のお姉ちゃん達はあまり疑ってもいない。優しい笑みを浮かべてエスコートしてくれる大人の男性は、彼女たちにとっても嬉しい物だ。
あんまり信用しないほうが。などと言って余計な波風を立てるわけにもいかないし。
ああ……ハクロだけの頃の方がよかった。
それもこれも結局は自分が悪い。
よりによって!
あのハクロの前で!
倒れるからだこの俺が!
うおお、とうなりながら床に蹲っていると、書類に目を通していたキンブリーが頭をあげ、眉を潜めながらこちらを見た。
「なにをしているんですか」
「……己のふがいなさに泣いていたところです」
「ところで、さっきから考えていたんですが、毎月の女郎達の給料の中にある、特別手当、というのはなんですかね。かなりの額を占めていますが」
「……それは、売上金額に応じてつくもので……」
「それはわかっていますがね。高すぎませんか。この半分でいい」
「……」
床に懐いている場合じゃなかった。
がばりと起き上がり、キンブリーの表情を伺うと、奴は帳簿を開いて、なにか計算をしている。
「この金額さえ半分にすれば、利益はかなり上向きますね。毎月ハクロにあげるお金も増えるでしょう」
「でも、それは、彼女たちの働きに対しての謝礼で」
「そんなことは分かってますよ。多すぎる、と言っているのです。後はこれ、毎月積み立てしている医療費と、毎月の健康診断。これも三ヶ月に一回でいいでしょう。あまりに過剰に女性達の身体をメンテナンスしすぎです」
「彼女たちの仕事は、かなり過酷で、体調にも左右されます。病気を貰うことだってあるし、その病気を客に移してしまえば大問題です。過剰とは思いません」
中には、酷い客だってたまにいる。
煙草の火を押しつけられた、と言われることだってたまにある。そんなときに、医者がすぐに飛んできてくれるのはそういう契約を結んでいるからだ。だがこの男は、その費用はもったいない、高すぎるというのだ。
―――――ハクロに渡す金を増やしたいがために。
眩暈がし、同時に怒りで脳の奥が真っ赤に染まった。
その、浮いた金を他に使うなら、まだいい。
だがこの様子ではその浮いたお金はそのまま彼らの懐に入るだけで、俺たちには何一つ還元されない。
……どれだけ、彼女たちが自分の身体を張ってこの仕事をしていると思っているのか。
今の給料だって安すぎるくらいだ。
ばっちゃんがいた頃はもっと給料は高かった。待遇だってよかった。それでも利益が出ていたのは、彼女たちに払うそのお金で、彼女たちはもっともっと綺麗になり、働いてくれたからだ。
この仕事は、機械を動かす仕事ではない。人が人から金をいただく仕事だ。だから、機械に投資するのと同じように、彼女たちにはお金をかけてやらないといけないのに。
「不満そうですね」
「……」
ぐ、と詰まる。
キンブリーはくつくつと笑うと、帳簿の端で口元を隠した。
歪んだ目元は隠せない。この男は、俺の話なんか最初から聞く気はないのだ。
「自己管理は個人の仕事です。彼女たちは自分の身体が商売になると知っているのだから、自分で面倒を見るべきでしょう。倒れてしまえば捨てて、次を探せばいい」
「な……!」
「ハクロ様は、利益さえ出ればそれでいいのですよ。あなたは優しい。優しすぎる。――――ですが、この店のオーナーはあなたではない。ハクロなのです。残念ですが、私が来た以上、あなたの思い通りにはさせません」
キンブリーの周囲だけ空気の密度が変化した気が、した。
頭に来て頭に来て、殴りつけたいのに、思考のどこかで、絶望が待っている。
考えたくない、認めたくないのに、男の気配は言葉に反応してエドワードの首を一刀両断しそうなほどの刃だった。
この男は、おそらく全てを知っている。
エドワードが今のハクロに納得していないことも、それを表に出さず、こっそり金を捻出していることも、ひょっとしたら裏帳簿の存在まで。
その上で、おまえの好きにはさせない、と言っているのだ。
この目の前の男から漂ってくる、圧倒的なまでの絶望を促す気迫。いつでも首は絞められるのだ、おまえはただ泳がされているのだ、と漆黒の瞳の奥が言っている。
――どうしよう。
こんな時なのに、またあの男の顔が浮かぶ。
大佐は、何をしているんだろう。あんたが教えてくれた数々の知識の中に、こんなのはなかった。いつもならエドワードの頭の中のあの黒髪の男は、それなりの知恵を授けてくれるのに、今はどんなに呼んでも出てきてくれない。
何で同じ髪の色なのに、同じ瞳の色なのに、キンブリーからは嫌悪しか産まれないのか。
それでも怒りを押し殺し、数をゆっくりと数える。
それも、あの男から教えられたことだ。腹が立ったら数を数えて、深呼吸。そして、新しい手を考えろ、と。
……なのに、どうしよう。
今まで、奴のいうとおりやっていたら、いつでもどうにかなったのに。今日だけは違った。
どうしよう、思い浮かばない。
この男を、排除する方法が、なにも。
(終わり)
