黒の祭壇

黒の祭壇

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37(連載中)


「……なにそれ」
「男だぞ?」
 このセリフは俺とハクロから出た。
 このときばかりは二人して、同じ意見に達したらしい。俺以上に不思議で理解できない顔をしているのは、ハクロの方だった。
 しかしキンブリーは平然と、それがなにか? と言い放った。
「男が好きな人間もいるでしょう。実際男性が働いている店も赤偵町の方にはありますし」
 あっさりと言われた台詞に、ハクロは自分の周囲の人間のことを思い出したのか、それもそうだが、ともごもごと言った。
「だが、ああいう店は男だけ、女だけ、と別れているものだろう。この周囲は女性専門だ、こいつを男性専門の店に売り払うってことか?」
 いきなり、身売りの話をされ、あまりの衝撃に頭が真っ白になる。
 奴らの頭なのかでは俺たちは商品でしかないと分かってはいたが、すがすがしいくらいに人権を無視した発言に怒りを通り越して気持ちが悪い。
 ハクロにこれ、と指さされた俺は、こいつらの中では買ってる家畜や絵画などと一緒なんだろう。高く売れればそれでいい、金が稼げないならいらない。その本人の意志などどうでもいいのだ。
 キンブリーは相変わらずの大げさな身振りで首を振る。
「違いますよ。それでは他と一緒です。女性ばかりの店で、一人だけ男の子が買える。そういうのも面白いとは思いませんか? 他の店では客はどの女性にするかを選ぶだけですが、気まぐれに男の子を買おうという男も出るかもしれない。それはそれで物珍しさで人が増えると思いますが」
「ふざけんな! なんで俺の……! もが。」
 抗議しようとする俺の口をキンブリーは黙って押さえ、むーむーと息だけで文句を言う俺を完全に無視して、奴はハクロに話し続ける。
「とはいえ、そんな客もほとんどいないでしょう。一週間に一人いたらいい方です。しかしその程度なら今の仕事に支障はない。彼はほぼ無給で働いてますから、人件費はほとんどいりませんが、それだけです。この方法なら、人件費も不要な上に金まで落としてくれるんです。今よりは遙かにいいですよ。なんといっても、ゼロがプラスになるわけですから」
「……」
 眩暈がしてきた。
 そんな金をちらつかせる言い方をすれば、ハクロがどう出るかなんて目に見えるようだ。
 エドワードは蒼白になる意識を繋ぎ止めつつ、なんとか口を押さえ込んだ手を離そうとするが、おそろしいことにびくともしなかった。
「実にすばらしいが、そんなことしたら彼はここを辞めないか? 正直こいつがいないといろいろ困ることも多そうなんだが」
 ハクロは、おそるおそるといった感じで、キンブリーのみに視線を向け、疑問を提示する。その態度だけで何を質問せずともすべてわかった。
 ハクロはやっぱりエドワードにも意志があるなど考えていない。辞める、辞めないより「嫌じゃないのか」という発想は浮かばないのだろうか。
 自分だっていきなり男に身体売れと言われたら嫌だろうに。こいつはきっと牛や豚にそんな気持ちがあるなんて、思ってもないのだ。いいように働き、言われたことを命じるままやる。軍人にとって市民なんて、きっとそんな物でしかない。

 あの男はいろいろと規格外だったのだと今になっては思う。
 彼はエドワードを一人の人間として扱ってくれたし、一般市民にはもったいなさ過ぎるほどの知識も与えてくれた。貴族や軍人の子供ならともかく、ただの一般市民の孤児の子供にそれは、普通しない。
 エドワードはこんな状態になってから、数々の屑な人間にあってきた。だからこそ、あいつがどれだけ希有な存在だったかその度に認識する。
 だが目の前にいない男を懐かしんでいたところで現状は好転しないことぐらい、さすがに分かっている。大丈夫ですよ、とキンブリーが言い、何事かを囁けば、すでにハクロはうんうんと頷き、了承の意を見せていた。
「それはいいな、少しでも金になるならそのほうがいい。こいつを店に出す段取りはキンブリーおまえがやってくれるな?」
「おまかせください」
「――――――――――! て、なにいってんだよ俺の……!」
「……嫌なら、出て行って貰うだけだけですが?」
「――――――――――っ!」
 一気に凍った。
 ハクロに怒鳴り散らそうとしたエドワードを引き寄せ、耳元でこっそりとキンブリーが囁いたのだ。
 耳元に吹きかけられた息に鳥肌が立つ。
「な……」
「君にとってこの店はとても大切な物らしいですね? 言うことを聞けないなら、あなたはいらない。どうぞ、他の店に行ってください。あなたは優秀ですから、どこでも働いていけるでしょう」
「……おまえ…」
 視界がぐにゃりと歪んで、足下まで落ちた血が凝固する。
 押さえつけられた腰がずきずきと歪み、この男の小さい笑い声が耳障りで吐きそうだった。
 ……知っているのだ。この男は、エドワードに取ってこの店が特別で、離れられない物だと知っている。
 俺の生い立ちの話でもどこかで聞いたのだろうか。捨てられた小さい自分を助けてくれた人が経営している店。ピナコばっちゃんの孫は未だに見つからない。その状態でこの店から俺が離れたりなんか、出来ないって、――知っている。だからこそ無理を言うのだ。
「あなたさえいなければこの店は私の好きに出来るんですよ。……私としては出て行って貰ってもいっこうにかまいません」
 キンブリーは囁くように小さい声で、エドワードの鼓膜に直接声を吹き込んでくる。触れる唇が気持ち悪くて、泣きそうだった。
 ハクロは金に頭が飛んでいるのか、この話はもう終わりと思ったのか、にこにこしながら新聞を読んでいる。エドワードがどんなに叫んでも、無駄だろう。奴は人並みの心は持っているようでいて、根本的な点で俺の心など理解しようとしないし、理解する気もないのだ。
 耳元の忍び笑いは続く。
「どうしますか? 客に身体を与えてでも、この店に残るか、それは嫌だとこの店を出るか。散々他人に身体を売っていた女性達を見ていたあなたが、自分だけが嫌だ、なんてまさか、言えるはずありませんよね?」
「……………」
 それは、巨大な槍で串刺しにされたような衝撃だった。
 好きでもない人に身体を与えることのつらさをエドワードは何よりも分かっている。隣で散々見てきたからだ。客に惚れて、他の客が嫌になって、それでも働かなくてはいけなくて、泣く女性を慰めたりしたことだってある。それでも耐えて働く彼女たちを本当に尊敬していたし、立派だと思っていた。
 自分が同じ状況に置かれて、嫌だ、と言うのはあまりに都合がよすぎはしないのか?
 エドワードが心の片隅において、考えないようにしていた気持ちを、キンブリーはあっさり引っ張り出してくる。
 エドワードは、この男のそういうところが嫌いだった。
 見たくないところ無理矢理引っ張り出してきて、目の前につきつけるのだ。おまえは汚い醜い、なによりそれを見て見ぬ振りをしていることが一番軽蔑する、と。
 キンブリーという男はおそらく、やりたいようにしかやらない。
 他人に強制して何かをやらせても、己がそれをやれといわれればあっさり断る。そこに罪悪感など欠片も抱くまい。
 たちが悪いのは、ハクロと違い、こいつは他人がどう考え、その思考のどこを狙えばいいか熟知していることだ。
 いつでもピンポイントに一番痛いところを突いてくる。
 そして、もがく俺たちを見て、楽しむことこそが、おそらく彼の愉悦なのだ。

(終わり)