黒の祭壇

黒の祭壇

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28(連載中)

 ハクロは開口一番、「この店の責任者を呼んでくれ」とのたもうた。

 思わず背中に冷たい物が流れる。だがそこは客商売。平然とした振りを装って、アンナ姉ちゃんが一歩前に出た。
「私ですが。なにか」
「話がある。どこか部屋を借りれないかね。ああ、別に相手をして貰いたいわけではないから、布団はいらないよ」
「…………」
 すけべそうないつものにやにや笑いは、今のハクロにはなかった。
 ハクロを調査して貰ったときに、写真で確認したので、顔は知っている。実際にハボックさんに連れて行って貰って、奴の姿も間近で見た。
 久しぶりに見るハクロだが、ほんの少しふくよかな体型は健在だ。見た目だけは優しそうに見えるが、そのくせ無能な奴がいる、と昔ロイがよくぼやいていたのは、今思うとハクロのことだったんだろう。
 ちらりとアンナ姉ちゃんが俺を見る。その表情はエドワードより遙かに年上の彼女にしては少し不安そうだった。
 体面上は、彼女が責任者だ。エドワードが同席するわけにはいかないし、同席していいかと聞くには子供過ぎる。
 ハクロが何を言い出すつもりかは知らないが、これからの応対はすべてアンナ姉ちゃんがしなければならないのだ。
 今までは、なにか重要な案件の時には、事前にエドワードがアンナに指示をしていた。だが今回は誰も予想していない襲来のために、何の対策も立てていない。
 エドワードも、なんとかしてやりたくてもどうにもできないのだ。
 ここで子供が口を出すこともおかしい。それはアンナにも分かっている。
 結局、二人ハクロの前で不審な態度を取るわけにもいかず、アンナは諦めたようにわかりました、とハクロに呟き、彼を別室に促した。
 
 
 
 ハクロが来た、という情報は狭い店内ではあっという間に広がり、今非番の女の子や仕事中の子までエドワードのところに飛んできた。
「どどどどうなってんの?!」
 ナナ姉ちゃんに肩を揺さぶられるが、エドワードにだって分からない。
 首を振るしかないエドワードの隣で、泣きそうになりながら女の子達が床に座り込んでいる。
 あのハクロが、遊びにではなく責任者に会いに来た、という時点で、ろくな話ではない気がした。
 一番最悪なのは、ハクロとこの店の関係が本人にばれた、ということだ。
 ハボック兄さんは優秀な探偵なので、あの線とは思いにくいが、他のルートでばれる可能性だってないわけじゃない。
 正直、本人にばれたらエドワード達に打つ手はないのだ。せいぜいなんとかハクロにこの店を売らないでくれ、と「お願い」するしかない。
 家系で言えば正当な管理者は彼になるのだから。
 先日までのいろいろな苦労がなんだったのかと思うと溜息が出てくる。
 巨大な熱い石を飲み込んだような気持ちで、胃の奥が重い。
 ハクロのお話とやらが終わるまでの一時間の間、胃の中の石は、大きくなるばかりでちっともなくなってくれる気配はなかった。
 
 
 
 一時間後、部屋から出てきたのはハクロ一人だった。
 その横顔に見えた、満足そうな笑みにエドワードの心が凍り付く。アンナが残された部屋に咄嗟に飛び込んだエドワードを見て、隣にいたナナ姉ちゃんが震える手を押さえながら立ち上がり、毅然とハクロを見送りに玄関に向かった。
「アンナ姉ちゃん……!」
 エドワードは足を前に動かす時間すら惜しいくらいの勢いで、部屋に転がり込む。
 その部屋の中央には、座り込み、俯いたまま、目の前のすっかり冷えたお茶を凝視しているアンナの姿があった。
 ハクロの前のお茶はすっかり飲み干されているのに、アンナ姉ちゃんのお茶は一滴も減っていない。
 ひどく部屋の気温が下がっている気がした。今はまだ夏なのに。
「……」
 俯くアンナ姉ちゃんの背中しか見えないエドワードは、彼女がどういう表情をしているのか計りかねた。けれど、その後ろ姿に漂う冷たくて澱んだ雰囲気だけで、いい話ではなかった、と嫌でも悟ってしまう。
 ……いや、よそう。
 そんな消極的な言い方で誤魔化したって意味がない。
 悪い話だったのだ。
「エドぉ……」
 話しかけられずに後ろで立ちつくすだけだったエドワードに、声をかけてくれたのはアンナの方だった。
 ゆっくりとこっちを振り返ったその瞳は濡れている。
 いつも気丈な彼女が、そんな頼りなさげに縋る瞳でこちらを見ているのが不思議で恐ろしかった。
 エドワードはとりあえずアンナの前に座り込むと、その細い腕を支える。
 そうしないとこのまま倒れてしまいそうな気がしたからだ。
「どうしたんだよ、なんかハクロに酷いこと言われたのか?」
 アンナは首を横に振ると、暫く考えて、やっぱり縦に振った。
 支えていられないのか、床に掌を突いて、視界を邪魔する髪の毛を耳に掛けることもなく、アンナは瞳をきつく閉じる。
「どうしよう、あいつどこで知ったかしらないけど、この店の権利書要求してきた」
「……な……!」
 九割予想していた事のはずなのに、息が詰まって一瞬言葉が出ない。
「今日は仕事中だからって、帰らせたけど、あと経理の書類も見せろって。あ、あいつがこれからこの店の支配人やる、から財務状況教えろ、て……」
 アンナは、残酷な事実を言葉に乗せるのも辛いらしく、ところどころ詰まりながらもなんとか最後まで喋った。
 そのハクロの発言の意図することを、エドワードは一瞬で理解する。
「ハクロが、支配人やるって言ったのか?!」
 アンナ姉ちゃんは壊れたおもちゃみたいにこくこくと頷く。
 思わずエドワードの肩が下がった。額にじわりと汗が滲んで、気持ちが悪い。
「……はは、すげえ」
 なるほど、軍人というのはそういう生き物なのか。
 ハクロは、この店に価値を見出したのだ。
 売り払うわけではなく、自分が上に立つことで利益だけ吸い上げる。
 つまり、この店は無くならない。
 上が変わる。経営者が変わるだけ、そいつが優秀な経営者か、最悪な物かは分からない。だがハクロの巷の評判を聞くに、ハクロにだけ都合のいい経営になるだろう。
 確実に女郎達の待遇は悪化する。
 ……それでも、店を取り壊したり問答無用で譲渡されるよりはましなのかもしれない。
 エドワードが考えていた最悪の目は、この店自体がいきなり無くなることだったからだ。
 絶望の淵はのぞき込める場所にいるが、その穴の中から呼ばれてはいない。そんな状況だった。
 泣き始めたアンナ姉ちゃんの頭を、子供のはずの自分が撫でる。
 ……思ったより動揺しなかったのは、ハクロが来た時点で、この展開になる可能性の高さを、理解していたからなのかもしれない。
 アンナを待つ一時間の時間は、エドワードに冷静な思考と対応策を練らせるには充分だったのだ。
 とにかく、落ち着こう、とアンナ姉ちゃんに諭す。
 そうエドワードが何度も繰り返している間に、ハクロを見送ったのを確認した他の女の子達が部屋にばたばたと駆け込んできた。
 彼女たちにも落ち着け、とエドワードは繰り返しながら、さっきまでは胃の中にあった石がいつの間にか肩に移動していたことを知る。肩が重かった。
 落ち着こうと言うのは、ひょっとしたら自分のためなのかもしれない。
 口に出すことで、自分が落ち着こうとしているだけなのかもな、とエドワードは内心苦笑する。
 もしそうなのだとしたら、それは成功していると思ってよかった。

(終わり)