黒の祭壇

黒の祭壇

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困った相談

「好きな人ができたんですが、どうすればよいでしょうか」
 目の前でぎゅ、っとコートを握りしめて、豆の錬金術師はそんなことを言ってきた。





 万年筆を走らせる手が止まるわたし。
 いつもなら、ぷい、と逸らされるはずの視線を逸らさずに、じっと見つめてくる子ども。
 おかしいものを見てしまった、という顔で眉をひそめる私に、それでもそらさず、赤くもならず、真剣な瞳に思わず唾を飲み込んだ。

「どうすればといっても…。どうしたいかによるだろう」
「どうすればいいか分からないから聞いてる」

 あんたなら、こういう経験たくさんありそうだからなんかいいアドバイスをくれるかもと思って。そう追加されて確信する。

 いやだ。鋼の錬金術師が真剣だよ。
 本気でこんなこと聞いてるんだ、この子。

「どうすればいいか分からないなら、今のままでいいのでは?」
「…やっぱり、そうかな。でも、いい加減限界で」

 子どもは、一転うつむくと、きゅう、と耳をたれているうさぎみたいな声を出した。
 小さい肩に、震えたまま離れないコートに押しつけられた掌。
 まるでひどく叱られた子供みたいな姿に、ロイの胸の奥がちくりちくりと音を鳴らした。 この子がこんなに頼りなげに俯くなんて、本当に恋をしているのだと実感する。
 ああ、おもしろくない。

「限界、とは?」
「会ったら、触りたくなるし。相手にして欲しくなるし。でも素直に言えないし。普通に喋ってても心臓がばくばくするからついつい目を逸らしてしまって、相手はどうやら俺があいつのこと嫌ってると誤解してるし」
 やだもう、マジで聞きたくない。と心の声が警報を叩いていますが、大人なので、冷静なふりをしてふむふむ、とか言ってみたりする。

「…なにがふむふむだ」
「え?」
「いや、なんでもない。こちらの話。ところで、どうして告白しない?」
 頬杖ついて見つめてみれば、顔をあげた彼は一瞬苦虫を噛みつぶしたような顔をして、やっぱり、そこに行き着くのか、と呟いた。

「言っても玉砕するだけだし」
「言ってみないと分からないだろう。案外相手も好きかもしれないぞ。脈はありそうなのか?」
「ぜんぜん」
「そうか、よかったな」
「――――――――――よくねーだろ!」
「あ。」
 ぎゃあぎゃあと喚かれて、失言したことに気がついた。

「しまった。建前と間違えた」
「はあ?」
「いや、こっちの話。じゃあ、好きだって言うのはともかくとして、嫌ってないとだけ伝えてみればどうだ?」
「え?」
「好きな人に嫌われていると誤解されているのは辛いだろう。とりあえずそれだけでもといてみたら」

 ほんとはそのまま誤解していてくれ、鋼に惚れられている奴。

「私はあなたのことは別に嫌いではありません、と言うことを伝えてみればよいのだよ」
「でも、信じてくれるかな。じゃあなんで視線を逸らすんだとか、殴って逃げるんだとか言われたら」
 ずる、と椅子からずり落ちそうになった。
「殴ってって…!鋼の。君、好きな人間を殴ってるのか!?」
「だ、だって」
 一転、おたおたと狼狽えた声を出す彼。いつもの彼から想像もつかないほど弱々しい。普段なららしくない、と切って捨てるがそれほどその人のことが好きで、不安なのだと分かると苛々するばかりで切り捨てることは出来なかった。
「そりゃあ…誤解されて当然だろう。君はあれかね、好きな子ほど虐めたくなるってやつかね」

 ちょっと持ち直して溜息をつきながら椅子に座り直す。
「いーんだよ!いつも虐められてるのは俺なんだから!たまには殴ったって」
「鋼の。反省の色がない」
「うぐ」
「好きな相手は大切にしてやらないと」
 それこそ真綿でくるむように可愛がって、エスコートして、まあ一部やったら殴ってくる人間もいるので相手は選んだ方がいいと思うが。
 鋼のに関しては甘やかしたいと言うより自分が鋼不足になるからかまいたいだけだが。

「……大佐は、どうなんだ? 好きな相手は大切にする?」
 熱に浮かされたような顔で鋼のが自分を見上げてくる。
 この瞳と、赤く染まった頬も本来なら、自分に向けられる物ではないのだ。

………あ~あ。
 失恋だ。
 この上なく失恋だ。

 心臓とか肺とか足とか腕とか、すべてに槍が突き刺さってきた。こんな思いを鋼のがするのは嫌だな、…いや、嬉しいな、だったらまだ、望みがあるかなあ。あああ、駄目だ。
「好きな相手には、この上なく優しくしてやるぞ。手を繋いで、キスして、プレゼントだってあげて、かわいい綺麗といくらでも言葉を紡いでやる。本心だから全く嫌ではない。相手が嬉しそうだとこちらも嬉しいし、たとえ楽しくなさそうでも側にいてくれるだけで、幸せになるんだ、そういうものだ」
 とりあえず、大人な台詞を吐いて思考を断ち切った。
 鋼のはそんな自分の言葉を聞くと、顔を硬直させて。はあ~と空気のすべてを排除するような溜息。

「そうか…やっぱり大佐はそうかぁ…好きだったら、優しくするんだな」
「普通はな」

 いつまでもこんな状態で話をするのが嫌になって、椅子から立ち上がった。立ちつくしたままの彼に近寄ると、ぎゅう、と握りしめられたままの掌を手に取る。
 こくりと飲まれた彼の息にも気がつかないふりをして、そのコートに張り付いた手を一本一本、剥がしていった。

「たい、さ?」
「そんなに白くなるまで、服を握りしめる物ではないよ」
 最後の一本を剥がすと、皮膚に同化したかと思われたコートははらりと重力に従い落ちていく。
 彼の手の指先に自分の指先が絡まった状態。ふわふわと白い肌。今自分と密着して数ミリの隙間もなく寄り添っているそれ。今から数刻後には他人の物になっているかもしれない柔らかい肌色。

――――――――――いやだ。

 嫌だ、欲しい。この手が欲しい。
 自分のものにしたかった。だってこの子供は頭の中は弟いっぱいいっぱいで他の物なんて入る余地がなかったからまあ平気だろう、なんて安心していたのだ。
 いつの間に他の人間を視界にいれるようになったんだ?なんで気がつかなかった?
 もうちょっと早く行動していれば、なんとかなったかも、しれないのに。

 ぎゅうぎゅうと心臓を締め上げるペンチが止まらない。みちみちと、脳髄を押しつけるプレス機が止まらない。
 お願いだから、上手くいったとしてもそれを報告にだけは来るな、と念を押しておこう。さすがに虚勢が崩れる。

 つ、と離そうとした手を、かすかにひっかかった彼の指先が掴んで、手の中に押し込んだ。
「……鋼の?」
 らしくもなく掠れた声になって、中腰のまま息が止まる。
 手放したくないです、と言われたみたいだなあ、と思った瞬間に押し上がってきた衝動を押さえようと手を重ねた。
「手を離しなさい」
 でないとこっちが壊れてしまうから。
 だが、それは緩められることはなく。両手を縫い止められて、ロイは迷った。

 無理矢理振り切ることは簡単だ。そこまで力が込められているわけではない。ロイが離そうと思えば、すぐに温度はなくなる。
「じゃあ、やっぱり駄目かなあ」
「……なにがだ、鋼の」
 俯く彼の表情は見えない。こういうとき彼との身長差に少し苛立ちを覚えた。
 小さい子供に言って聞かせるには、瞳を見るしかないのだろう。
 ちょん、と指先だけ捕まえられた状態のまま、彼の腕をぐい、と引いてロイは腰を落とした。
 一転俯く彼の顔を覗き込む。両手を握りしめて、見上げた。

 ……なんて顔をしているのか。
 虚ろになにをも通さない瞳。その縁にかろうじて留まっている透明な水。熱を帯びた頬が、軽く色を散らして、可憐だった。
「鋼の……?」
「優しいのは優しいけど、さっき大佐が言ったみたいな優しさは貰ったことないや。いつもいつもからかわれてばかりで。やっぱり、駄目かあ…」

 これは、絶望だった。彼の心の奥を蝕んだ諦め。一瞬にして、自分の言葉は彼の恋心を粉砕した。
 己のミスに気がつく。
 先ほどの自分の台詞が、半死半生の彼にトドメを刺してしまったのだ。

「わからんぞ、その人も君と同じで素直になれないだけかもしれない。本命には優しくできないだけかもしれないからな」
 大慌てで言葉を紡いだ。今ばかりは本心だった。だってそうしないとこちらの子供が壊れる方が早そうで。
「でも、大佐は優しくするんだろ」
「…………それは」
「じゃあ、駄目だ。あんたがそうじゃないなら、俺には意味がない」

 ぐい、と瞳を腕でぬぐうと、彼はロイの手を掴んだ両手を離した。
 座り込んだまま、呆然と見上げるロイにはじめて気がついたような顔を見せると、瞬時にそれはむか、と不快げな表情に変化した。
 ごつ、と鋼の腕で後頭部を一撃されて、思わず頭を抱える。
 脳みそに一瞬火花が散った。記憶も一瞬失った気がする。

「痛いじゃないか!」
 よりによって右手か!右手なのか!?
 鋼の錬金術師は、ぱんぱん、と手を払うと、先ほどまでの表情を一変させてにやりと笑う。
「あんたに、見上げられるとむかつく」
「……いつも見下ろされるのが腹が立つって言ってるくせにわがままだな君は!」

 結構ずきずきするんだけど。どうしようこれ。
「くそ…たんこぶになったらどうしてくれる」
 頭を撫で撫で立ち上がる。またもや彼を見下ろす状態になってみると、鋼のはそんな自分をじーっと見つめていた。

「……?」
 先ほどまでの頼りなさげな表情はどこにもない。澄んで迷いのない瞳。ロイを捕まえて離さない甘露。それが、ぷい、と逸らされる。
「なんだね」
「……なんでも」

 ああ、頭痛い。
 彼がなにを考えているかさっぱり分からない。
「で、結局結論は出たのかね。告白は諦めたのか?嫌われてるという誤解の訂正もしないのか?」
「…………」

 沈黙されても。

「どちらかぐらいはすませておいたらどうだ?わざわざ人に相談に来たんだ。何も先に進まないままっていうのでは意味がないだろう」
 頭をさすりさすり。やっと鈍痛が収まってきた。

 全く。すぐ暴力に訴えるのはどうにかして欲しい物だ。
 目が合うとすぐ逸らされるし。
 しょっちゅう人を殴っては逃げるし。
 口で虐めるくらいしか楽しみがないじゃないか。

「…………うん?」
 なんだか面白いことに気がついた。

「なあ、鋼の。今唐突に気がついたんだが、君が言っていた好きな人に対する対応っていうのは私にも全く当てはまるな」
 そうだ、よく考えれば全く一緒だ。なぜか私にだけ暴力的だし、なぜか私だけ目線を逸らされるし。
 そう考えれば鋼のの思い人というのはこの彼の暴力的愛情にひたすら堪えているのか、すごい。すごいぞ。相手への愛情がないと絶対我慢できないぞ。

「…………あ」
 今度は又嫌なことに気がついた。
 つまり、つまりそれってこういうことか。

「あ、あ~分かった」
 うわ、分かりたくなかった。さっきまでのわずかな望みも打ち砕かれた。
 頭の中は一瞬で蒸発して、どろどろと絶望を流し込まれた。さきほどまでの手の感触は、本当の本当に二度と手にすることはなくなるのだという確定。
 相手がどんなやつかは知らないが、鋼のに、好き、と言われたら小躍りして喜ぶんだろうという憎たらしい想像。
 これ以上のことは口にしたくない。相手と彼を喜ばせるだけだ。言ったら自分が傷つく。
 視界が霞んだが、身体を奮い起こした。
 そこまでサービスしてやる義理はない。だが、最後の最後まで保護者を貫きたいなら。そのくらいのみっともなくも守りたいプライドがあるのなら。
「…鋼の、それは、相手もきっと君を好きだよ」
 途中抵抗する脳の回路を握りつぶす。
 精一杯の虚勢を張って、あくまでも保護者のような微笑みを準備して、彼を見た。

「――――――――――」
 だが、そんな見栄は即座に打ち砕かれる。
 いつのまにか側に寄ってきていた彼が、又、先ほどまでの空虚な瞳に戻って自分を見上げていたから。
 また、失敗した、と思った。
 ぐ、と軍服の裾を捕まれる。
 彼が俯くと自分には彼の瞳は見えない。それが無性に嫌。
 握られた服に繋がる拳が、小さく震えている。
 自分では素晴らしい言葉のように思えたのにこの発言は又彼の何かを壊したらしい。

「鋼の」
「大佐が、好き」
「……………」
「いつも、殴ってばっかりでごめん。でも嫌いじゃない。本当は大好き」

 ぞく、と得体の知れない感覚に、一瞬にして鷲掴みされる。
 目眩を堪えて、足を踏ん張った。
 歓喜は、欲望まで引っ張ってくる。さきほど諦めたこの手を、身体を。又はい、と差し出された。頭がぐるぐるして働いてくれない。
 ちょっと。難しい数式や錬成陣だって書けるのにいざって時に使えないよこの脳みそ。ちゃきちゃき動け。

「鋼の。…あの」
「…あんた、鈍すぎる」
 ゆっくりと、軍服を握っていた手が離される。

 はがねの。
 鋼の。顔が見たい、小さい君は見下ろしてもつむじしか見えない。君が見上げてくれないと分からない。でも、待っていたらこのまま逃げられる。
 だから、追いかけないと、捕まえて、私もです、と言わないと。

 分かっているのに頭は真っ白。
 鈍い、鈍いか私は。

『あんたがそうじゃないなら、俺には意味がない』

 今になってやっと分かってきた。そういう意味か、そう言うことか。
「き、君の愛情は…わかりにくすぎる」
 情けなくも両足は精神で踏ん張るには限界で、へたへたと座り込んだ。

「私はマゾじゃないんだから」
 とりあえず、目の前のコートは掴んでみた。これだけはしておかないと逃げられる。
「いくら好きな相手には優しくするって言ったって、殴られるって分かっててするわけがないだろう」

 食事に誘えば、パンチ。プレゼントを買えば、他の人に渡され。近づいたら寄るなバカ、と殴られ。
「普通なら100回誘うところを1回くらいにしておかないと、私は大総統になる前に寝たきりになってしまうじゃないか」
 強張った彼の身体をそのまま手前に引くと、あっさりそれは姿勢を崩して私の胸の中に倒れ込んできた。
「それでも。あれだけ君に殴られてもまた繰り返してるんだからいい加減察したまえ」

 腕の中に簡単に収まった身体が、ぴく、と震えた。
 肩口に収まっている彼の顔は身体に押しつけられて全く見えない。ただ頬の辺りに見える耳に唇を押し当てた。通常よりどう考えても熱を持った耳に苦笑が漏れる。
 これは現実ですよ、とそれが教えてくれるから。
「……君だって、充分鈍い」
 好きになったのは、こっちの方が先なんだから。

 ああでも彼が鈍いおかげで、こうして盛大な告白を聞けたのだから、ラッキーなのかな、と腕に力を込めた。

(終わり)