36(連載中)
いつかその日が来るとは思っていたが、とうとうやってきた。
売上が明らかに落ち始めたのだ。
キンブリーがこの店に来初めて、半年目の事だった。
明らかに下降線を辿るグラフを見ながら、ほらな、とせせら笑う。
しかし人ごとのようにざまあみろとは言っていられない。自分たちの生活にも直結するのだ。この店の売り上げは。
単純に物が売れなくなったならいい。だが離れた客を取り戻すのは客を呼ぶことの数倍難しい。
評判はすぐに広まる。この店が人気店だったのは、女の子達の優しくて暖かい性格故だった。
そんな彼女たちに疲れを癒されに来る男性にしてみれば、自分より疲れた女性に世話してもらおうなんて思うわけがない。
あれだけ休みも給料も減らされれば、精神的にも肉体的にも疲労する。
男より女の方が負荷が高いのだと言っても、よく分かってない顔をするあいつらには、何を説こうと無駄だった。
「なんで最近客が減ってるんだ? 利益も減ってるし」
久しぶりに訪れたハクロは自分の取り分が少ないのが気に入らないらしく、キンブリーとエドワードを同じ部屋に呼ぶと、帳簿も見ずにぶうぶうと口をとがらせて愚痴た。
そこで帳簿を見れば一目瞭然なのだが、見ないところがハクロだよなと思いつつ、内心の溜め息を隠しエドワードは沈黙を保つ。
どうせ、俺に発言権はない。何を言おうとキンブリーが上から潰すのは目に見えているし、そもそもハクロは俺よりキンブリーを信頼している。
そりゃまあ、同じ軍の部下の方が、信用できるだろうし、素性の分からないガキよりはいいだろう。
しかし、売上が落ちたことに対してキンブリーはどうやって言い訳するのかが気になって、エドワードはちらりと隣の黒髪の男に視線を向ける。
キンブリーは相変わらず食えない表情のまま、口端をそっと歪めている。その髑髏のような横顔に、エドワードはぞっとしたものを覚えて唾を飲み込んだ。
ちょっとだけ、ざまあみろと思った意識は消え飛ぶ。
白い服を好んで着る、黒い――心の中までも真っ黒の男は、この段階になっても、己が叱責はすぐに挽回できると踏んでいるようだった。
その得体の知れなさが気持ち悪い。
静まりかえった空気が痛い。
この男は、売上が下がったことなど、なんとも思っていないのだ。
「最近近所にライバル店が出来ましたからね。新規の店に最初は客が流れる物です」
「そ、そうか」
不安一つ抱かせない柔らかい口調は、店の女の子達に対するのとおなじものだ。
キンブリーの嘘くさい言葉に、ハクロはあっさり騙されほっと顔を緩ませる。
「では、暫くすれば客は戻ってくるんだな?」
ハクロは未だ事態を分かっていないらしく、暢気にそんなことを言い出すが、エドワードは内心首を振った。
ライバル店が出来たのは確かだ。だが、そのせいで客が減ったわけではない。単純にこの店の満足度が下がっただけだ。
目先の利益しか考えてなかったから当たり前の結末で、このままのことを続けるのなら、来月はもっと売上は下がるだろう。店を閉めることだって、エドワードの視野には見えていた。
キンブリーを追い出すことが出来れば、三ヶ月で利益は元に戻せるとエドワードは確信している。
だが、ハクロがそれを許すとは思えない。どちらかといえば、エドワードの忠告はうっとうしく不興を買うだけだ。
しかし、本当にキンブリーはどうするんだろうか。
今回は適当に言い訳がついても、数ヶ月後に同じ質問をされたらもうライバル店では言い訳にならない。
気になって顔をあげたら、なぜかキンブリーと目があった。
……え?
ハクロと直接話していたキンブリーはさっきまで横を向いていて、エドワードの方など見ていなかった。見る必要もないはずだ。
なのに、なぜこちらを向いているんだろう。視線が合うわけがない。ハクロは反対側にいるのに。
思わずぽかん、と見上げるエドワードに、キンブリーはにたりとした微笑みで、エドワードの思考を完全に止めた。
胸を矢で射られたような感覚に、身動きがとれず硬直する。
いやだ。まずい。
……分かりたくなかったのに、理解してしまった。こいつ、俺が。
「私一人ならいいんですが、この子がいろいろと邪魔をするので、なかなかうまくいきませんでね」
「な……!」
――邪魔なんだ。
「私に経営をまかせてくれればいいんですが、どうもこの子がいるとやりにくくてですね。私の考えたやり方にいちいち反対するんですよ」
「だって、それは……!」
ショックを受けている場合ではなく、エドワードは思わずかっとなって口を開く。
てめえが給料減らすとか、福利厚生なくすとか、服は経費じゃなくて給料で買えとか、無茶ばっかり言うからじゃねえか、と言おうとしたのに、その前にキンブリーは大仰に溜め息を吐き、肩を竦めた。
「ああ、ほら。見ての通りですよ。何か言おうとすればこうして反抗する」
「ちが、てめえ、あんたがあまりに無茶なことやろうとするから」
「無茶ではない。経営改革ですよ。昔からいる人間は変化を嫌うから、嫌がりますがね。そういう理由でなかなかうまくいかなくて」
「ふざけんなだれが……!」
思わずつかみかかりそうなほど激昂し、一言反論せねば気が済まぬと肩を怒らせたら、口を大きな手で塞がれる。
「ん――!」
じたばたと暴れるが、基本的に身長が違う。軍人はがっちりとエドワードの首筋を掴んで、咳き込ませた。
「ハクロ様。見ての通りですよ。長年この店を切り盛りしてきた腕は認めますが、やはり先代の頃からの人間は古いしがらみも多いみたいですね」
俺より年上の男がなに古いしがらみとかいってんだ! と怒鳴りたいが、喉元をがっちり押さえられていて、息すらも危うい。
呼吸が苦しく目に涙が湧いてきた。
ハクロは、うーん、と腕を組んで首をかしげている。
なんで信じてるんだアホかこいつは!
……いや、アホだ。ハクロは馬鹿だった……。
ということはあてにならない。俺=古い邪魔な人間、というムードに部屋の中が支配されている。
「しかし、だからって彼を首にするのもねえ。昔からの人間だから、いろいろ詳しいことも多いしな。経営とは言わないまでも雑用くらいはやってもらえた方が安くこき使えるだろう」
こいつ一人分の働きをする雑用を雇えば、もっと金がいるぞ、とかけろりとキンブリーに言っている無能な支配人を蹴りつけてやろうと足を動かしたら、腰をひょい、とキンブリーに掴まれた。
むなしく空中を蹴る足。
金だけの問題か俺は!
根本的なところがおかしいって言ってんだろうが!
――と、言ってやりたいのに悔しいかな声が出せない。
キンブリーは暴れる俺を眉一つ動かさず捕まえたまま、
「ではどうですか。彼にも店に出て貰って、暇なときには雑用もしてもらうというのは」
「――――――――――」
あまりに、とんでもないことを、言った。
(終わり)
