黒の祭壇

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八つ当たり

 今回こそは大丈夫だと思った。
 今までにないくらいに、順調。
 ちらほら入ってくる噂も真実味があり、確信に近づけば近づくほど、それは本当の賢者の石であると予感させた。
 多分今までの旅の中で、一番の情報だったと思う。
 夢で元に戻った自分達に思いを馳せるくらい。
 でも、そう思いながらも結局ガセネタだったことは多かったからそんなに期待をしないようにしないように、と思ってもいて。
 だからガセネタだったら逆に良かった。がっかりしたけれど二・三日凹んだらそれで終わったと思う。

 まさか目の前で、賢者の石の生成方法を書いた本が燃えるなんて思っても見なかったのだ。


 結局、目の前で失ったのは真理を開くための扉。
 もう、二度と手に入らないかも知れない。
 ゴール直前で、ゴールのテープが消えたみたいなものだ。
 自分以上にショックを受けているアルフォンスには何も言えなくて、エドワードは一人司令部の図書室の端っこで壁を背にしてぼんやりと座り込んだ。

(…さすがに)

 腹が立つ。

 自分達がトラップに引っかかった、と言うのなら仕方がないと諦めよう。
 単に、場を読めない頭の悪い男が一人いて、そいつが押してはならないスイッチを押しただけ。
 それであっさり本は燃え、押した男は何をしたのか気がついていない。
 怒鳴っても殴っても、何をしたか理解していない馬鹿には通じないから、エドワードは拳を握って諦めた。
 でも、やり場のない怒りは時間が経てば立つほどこつこつと貯金されていって。
 このままだと落ちこむ弟にまで八つ当たりしそうで、逃げたのだ。結局。
 誰にも会わずに一人でいらいらしていると、壁に当たり散らしたくなる。
 ここなら当たったら最後、本が全部本棚から落ちることが分かっていたので、そんな馬鹿な衝動も押さえられるだろうと思ったのだ。
 自分がキレたらどうなるかは理解していて、下手に両手を合わせればたいていのことはなんでもできてしまうこの身は、きっと簡単に部屋を破壊してしまうだろう。
 だからこうしてぼんやり、頭の中からとげとげを抜く作業をひたすらしていれば、いつかは、きっと明日の朝には元のエドワードに戻っているはず。
 それを願って目を閉じた、のに。

「鋼の」
 …八つ当たりに最適な男がやってきた。



 ぱかりと目を開けて見上げれば、壁に背を向けて意味もなく本をめくっているエドワードをびっくりした顔で大佐が見ていた。
「なに」
 不機嫌きわまりない声なのは分かっている。
 それが理不尽なのも。
 でも勝手だと分かっていながら、こんなところに現れたこいつの方が悪いと思ってしまう心は拭えない。

「…なにをしてるんだね、こんなところで」
「別に」

 いいから早くどっかにいってくれないだろうか。
 とげとげをやっと半分くらい抜いたのに又一個一個刺さり始めた。
 どうしようもなくむしゃくしゃしているし、目の前の男はきっと怒鳴っても殴っても大人の余裕でかわすと分かっているから、その余裕にむかつくのだ。
 今回情報をくれたのはこいつなのに、それに腹が立つという意味不明の感情。

「…カナンの日記はどうだったんだ?」
「――――――――――」

 よりによって、それを聞くか。
 一番忘れたかったそれを聞くのか。
 口から五月蠅い、と怒鳴り声が出そうになって、口を閉じた。
 でも胸の中に赤い水が一瞬にして満ちて、それが熱湯になる。
 すとん、と男はエドワードの目の前に座ってこちらを観察するように見た。
「……っ!」
 その暢気な顔が憎たらしい。こちらはもう、いっぱいいっぱいなのに。

「鋼の」
「…うるさい」
 顔も見たくない、と言いそうになってしまった。
 とにかく、一人にして欲しい。みっともなくも当たり散らしたくなんか、本当はなくて。

「駄目だったようだな」
「駄目じゃねえよ!」
 溜息混じりの発言に、抑えていた物が切れた。

「駄目なんかじゃなかったよ!今度こそ、ほんとに、なのに、くそ、…あんたが」
 あんな馬鹿男がいるって言ってくれれば、と喉元まで出掛かる。
「簡単に、駄目だったとかいってんなよ!だいた…っ!…うぐ。」
 止まらなくなってしまった文句を、大佐の掌が塞いだ。

「うーうーうー!」
 中断させられた理屈の通らない文句を、男は喉から胃に流し込めと言わんばかりに、エドワードの口をひたすら塞いで止める。
「…count to ten」
「…?!」
 男は、癒すような笑顔だった。

「10数えなさい、鋼の」
「……」
 口を押さえたまま、男はエドワードに諭す。
 その瞳の優しさに、反抗心が消えた。

(1…)
 言われるがまま、心の中で数える。

「…when very angry, a hundred」
 そんなエドワードに、大佐は足りなかったら100数えろ、と呟いた。

 お望み通り10まで数えたところで、どうすればいいか分からなくなって、口に押しつけられた手に触れた。
 上目遣いに伺うように見上げると、静かにその手は離れて。
「10でいいのかね?」
「――――――――――いいよ」
 畜生。

 すっかりさっきまでのいらいらは消えていた。
 男はエドワードの頭を撫でる。不思議と振りほどく気にもなれず黙ってそれに甘んじた。
 髪なんか触るな、といつもなら言うのに、今日に限って気持ちよくて。
 突き刺さっていた針はあの10秒で全部消えてしまった。
 なんだか気持ちが良くて、思わず目を閉じてしまうと、大佐はぴくりと動きを止めた。
 もったいなくて、瞳を開ける。
 気持ちいいからもっと髪を撫でて欲しいなあ、なんて思っていたエドワードの気持ちがその瞳を見て通じたのか、大佐はどことなく困ったように笑って、諦めたように又撫でてくれた。
 その感覚に熱湯が冷えていくのを感じつつ、目を閉じて猫のように大佐の掌に頬を懐かせる。

「………大佐、100で足りなかったら、どうするんだ?」
「…そうだな、だったらもう諦めて八つ当たりでもなんでもすればいい。私が止めてやろう」
 1000数えろとでも言われると思ったのに、男は自分が止める、などと言ったので、不思議に思って瞳を開けた。
 髪を撫で続ける男は、エドワードの前で笑っているのに、何かを我慢している ように見える。

「どうやって止めるんだよ?」

 多分、エドワードはそれを聞くべきではなかったのだろう。
 でも単純に疑問に思って、だから男の顔が近づいてきても、自分の唇に他人の それが当たっても、意識が揺らいだのは大佐が離れていった後だった。

「そんな口は塞げばいい」
「…………」

 怒る、気にもなれない。

 あまりにも、想定外で、エドワードはぽかんと大佐を見つめる。
「嫌なら、100数える間に忘れなさい」
 ぺし、と最後に軽く頬を叩かれて、思わず目を瞑ったエドワードが目を開けた ときには大佐はすでに立ち上がっており、背中を向けて離れていくところだった。
「……」
 やっぱり何も言えずに、その背中を見送る。
 


 ……100で足りなくてもいい、と思ったなんて、言えるはずもなかった。




腹が立ったら十まで数えよ。 うんと腹が立ったら百まで数えよ。
When angry, count to ten before you speak. If very angry, a hundred.

トーマス・ジェファーソン アメリカの三代目大統領のお言葉でした。八つ当たりはよくないというお話。

(終わり)