黒の祭壇

黒の祭壇

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45(連載中)

 廊下を越え、離れにたどり着くと、やっと息を吐ける。
 いくら何でもこんな時間に客を入れたなんてばれたら、まじめな姉ちゃんあたりにどれだけ怒られるかわかったものじゃない。
 部屋にアイザックを放り込むと、後ろ手に扉を閉め、窓際にある小さい明かりに火をつけた。
 布団と、茶器はあるが、いかんせんお湯がない。
 お湯を沸かしにもう一度台所に戻る危険もおかせない。
「電気はつけられねえし、お湯も沸かせねえから茶も飲めないぞ」
「いいよ」
 アイザックは用意された座椅子に座ると、やっとほっとしたようにため息をついて背もたれに体を預けた。

 そのまま目を閉じている若い青年は、茶色のふわふわの髪が特徴の、細身の三十代の独身男性だ。
 エドワードを買うからといって男に興味があるわけではない。
 毎回三百万センズをぽんと払う男は、色事をしたいためにエドワードを買っているわけではなかったからだ。

「……情報を知りたい。ここ一週間で、ウェストシティの方でなにか動きはなかったか?」
「……曖昧すぎてわかんねえよ。動きってなんだよ」
 あぐらをかいて座ると、エドワードは向かい合う。アイザックは顔をこちらに向けて、繰り返した。

「シンから、何か荷物が来たか、しらないか」
「……曖昧すぎだろ……」
 荷物とか言われても困る。
 しかし、とりあえず脳みそのデータを引っ張り出そうと口元に手を当てしばし思考整理に勤しむが、その間アイザックは黙ってエドワードを待っていた。
「木曜日に最終便の後、特別貨物が入ってきたって話はそういえば、ほかの客から聞いたけど」
「うちのじゃないか?」
「――緑色のマークのついた貨車っていってたから、アイザックのじゃねえかな。それ以上の話はしらねえよ。知りたきゃ調べてやってもいいけど」
「いや、いい。そこまでわかれば十分だ」
「え?」
 アイザックは頭を掻き、重く息を吐いた。
 きょとんとするエドワードに気づいたのか、あ、と今更ながらに穏やかにいう。
「ああ、横になってていいぞ。布団あるし。別に襲わねえから」
「眠くないから別にいいよ。それよりなんかあったのかよ」
「ちょっとな。どうやら俺を蹴落とそうとしてる奴らがいるらしくて」
「え?」

 アイザックは肩を落とす。
「噂だったんだが、本気らしい。俺はそんな貨物、許可した覚えねえからな。なのにうちの社の車両が入ってくるってことは、部下が俺の知らない相手と商売してるってことだ」
「……それが、シンから来た荷物?」
「シンから荷物が輸入されてるって話だけ聞いたんだ。ほんとだったらしいな」
「……」
 アイザックは、部下の裏切りと、己の知らない間に勝手に荷物が移動されていたことへの憤りに座椅子の縁を苛立たしそうに殴っている。
 一時間どころかもうこれで話は終わりそうな勢いだった。
「それ、誰が言ったかしらねえけど、部下の密告か?」
「そうだ」
「だったらそいつ気をつけた方がいい。シンからの荷物じゃないと思う」
「どういうことだ?」

 話が終わったと思っていたアイザックが身を乗り出す。怪訝そうな表情に、エドワードは少しためらいながらも口に出した。
「シンからだったら砂漠地帯を通る。ウエストシティに来るときには砂まみれになってることもほとんどなんだよ。なのに、俺にそのこと教えてくれた人は、緑色の綺麗な車体に、アイザック社っぽいマークが見えたってはっきり言ってた。シンから来たら、車体は砂でまみれて、すぐに緑色なんてわからないし、間違っても綺麗な車体、なんて言われない」
「つまり?」
「綺麗な緑色、汚れが完全に取れるのは水を被ったときだ。雪国のドラクマ。あそこを通ると車体は雪を被り、アメストリスに来たら水になって溶ける」
「――つまり、その車体はドラクマから来たってことか?」
「うん。でもそんなのおかしい。だって今戦争してるんだからな。普通荷物届かない」
 荷物どころか、人間もここ数年は完全にシャットダウンされている。
 ドラクマには手紙すら、今は届けられない。相手国の情報を得ることは出来ないし、汽車はドラクマを迂回して他の国に荷物を運んでいる。ドラクマを通った瞬間に、汽車は攻撃されるだろう。だから、ドラクマを「通って」アメストリスに汽車が来る、なんてことは普通はありえない。
「……おいおい、きな臭い話じゃねえか」
 口元だけで笑ってアイザックが声を震わせる。
「対応間違えると、アイザック社がドラクマと繋がってるってことになるぜ。それが部下の狙いなら、あんたかなりやばい」

 社長が敵国と内通していました。

 それが立証されれば社長を引きずり下ろされるの話ではなく逮捕されてしまう。優秀な社長を完全に追い出すには、罪人にするのは最適の手だ。
「シンからの荷物です、手続き忘れてましたと言い訳してアイザックがオーケーしたらそれでよし。許可されなかったとしても、シンから荷物は本当に来てないんだから、問題はない。どっちに転んでも、言い出した奴にはあんまり損はなさそうな気がする。ばれたときにアイザックが「知らなかった」って言っても、許可貰いましたとかいうだろうな。思った以上に恨まれてるな、あんた」
 さすがに同情してため息をつくと、アイザックはがっくりと項垂れた。
「まじか……やっぱりここに来て正解だった。俺、その報告してくれた奴信用しはじめてた」
「信用するなとは言わないけど気をつけた方がいいぜ。敵は多いねえしゃっちょうさん」
「うがー!」
 頭を掻きむしっている社長さんだが、まあ基本的にアイザックは優秀なので、何とか乗り越えるだろう。情報と事実にさえ気づけば、この男に敵はいない。
「あんたが、社長じゃなくなるのは困るんだけど。いろいろ便利だし。だからさっさと解決しろよ」
「――俺だってエドが俺の相手してくれなきゃ困るんだよ。社長だから三百センズで買えるんだ。追い出されたらもう買えない」
「女郎買うなんて道楽だろ。いいじゃねえか別に」
「おまえが女郎? 花を売るようなかわいらしい外見にだまされてる奴ばっかりじゃねえだろ。エドを買う奴なんて、買ってるのはおまえのココ。分かってる奴は分かってるよ。分かってない馬鹿もいるがな」
 つんつん、とアイザックは自分の耳の上を叩く。
「もったいねえなあ。俺の部下になれよ。身請けするからさ」

 布団に寝っ転がった男がばたばたと足を揺らしておねだりをする。
 三十も過ぎた男にかわいくねだられても気持ち悪い。
 思わず一歩後ろに下がると、アイザックは仰向けにばったりと倒れた。
「身請けは……ねえなあ。たぶんレイブンがゆるさねえよ」
「あの変態親父か? まだあいつに捕らわれてんのか」
「――結局は、レイブンが右と言えば右、左と言えば左だからなあ俺。一番金を落としてるから支配人も逆らえないし」

 と、いうかハクロは出世の種に俺を使っているだけだが。

「あいつは馬鹿だな」
「誰が?あんた?」
「俺じゃねえよ! レイブンだよ! エドとつきあってて話しといて、エドの頭脳に興味がいかないってのが理解できねえ」
「あっちからしてみると、女郎を買うのなら頭なんかどうでもいい、てのがほとんどだと思うぜ」

 両者はあまりに対局だ。
 アイザックは俺に指一本触れることはない。最初に買ったときからそうだった。

『頭がとんでもなくいい女郎がいるって聞いた』

 と、言って俺を指名した。
 どっちかといったらそっちの方が変わり者だろう。

「……あのさ。その荷物の中身って何だったんだろ」
「ドラクマからのか?」
「嫌な予感がするんだよな。わかったら教えてほしいんだけど」
「いいぜ。俺も同じこと考えてる」

 そうと決まれば、とアイザックは勢いよく起き上がった。
「ありがとよ! 夜中に誰かに話を聞いてもらいたくなったときに、真っ先におまえが浮かんだんだよ。金は後日払う」
「――いいよ。話しただけだろ、ほんの十分くらい。茶も出してないし、こんなので金とれねえよ」
 口ではああいったが、もとから金なんて取るつもりはなかった。
 切羽詰まったアイザックが、少し心配になっただけだ。
「また、なんか変わった情報仕入れたら教えてくれればいい。とりあえず荷物の中身は調べてみる」
「わかった。感謝する」
 最後に一度敬礼するようなへたくそな手の動きをして、アイザックは宿を出て行った。
 
 白み始めた空の下、凍えるようにして去っていくアイザックを見送ったら、すでに新聞は投函されていた。

(終わり)